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「十分前行動は僕のポリシーだと何時も言っているじゃないか。そんな事よりも、どこに行く?」と律は頬を摩りながら、やや不機嫌そうにそう言った。
「そうね、デートというご要望にお応えして、今日は水族館に行こうかしら」
咲空は無表情でそう言うと、身を翻して颯爽と歩きだした。律に決定権はない。
律はその横柄な態度に苦笑しつつ、彼女が自分の感情を上手く表現出来ない人間だという事は重々承知の上だったので、黙って咲空の後を追った。
道中の車内では、両親を伴った園児や小学生で混み合い喧騒に包まれていたが、互いに煩わしさを感じる事はなかった。寧ろ彼等の服や鞄が放つ、赤色から黄色…青色から緑色に至る迄の、玩具箱を引っ繰り返したかの様な色彩に、どこか安らぎを覚えた。
時折、互いの学校生活に関して等、取り留めのない会話を交えたが、咲空は専ら移りゆく景色を車窓から眺めた。辺りは既に日が高く昇り、新興住宅地の合間を縫う様にして表れては消えてゆく森林は、陽の光を受けて直視する事が憚れる程に白く輝いていた。
常日頃から、二人で過ごす時は互いに口数が減ったが、それは決して倦怠感や忌憚から来るものではなく、反って二人が気の置けない間柄である、という事を証明していた。
電車を一つ乗り継ぎ、片瀬江の島駅へと到着すると、咲空は浮立った様子で改札口を抜けた。
「律、早くしないと置いて行くわよ」と言って、まるで周囲の子供達と競うかのように、足早に目的地へと向かう。振り返る度に長い髪が風に踊り、陽の光が煌めく。そんな彼女に、律は身体を小刻みに震わせ、咳き込みながら苦しそうに笑った。
「今日の君は随分素直と言うべきか、無邪気だね。何時もその様に振る舞っていれば、雪女や鉄面皮、サッチャーなんて皮肉な愛称をつけられることもなかっただろうに」と言って、律は目尻に浮かんだ涙を拭った。
「……その話は中学生の時のものでしょう。そもそも、高校では誰も私の事になど触れはしないのだから、愛称自体存在しないわよ」
咲空は眉根を寄せて淡々とそう言ったが、歩く速度と共にその肩を落とした。
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