第1章

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「神田がさくらちゃんに関心を持ってくれた事は、いい傾向だと思う。これを機にもっと親交を深めるべきよ。あたしは寧ろ付き合って欲しい、くらいに思っているからね。それこそ小説家になりたいと思うのなら、より多くの人間と出会い関わる事で、人生経験を積まなくちゃ」  ノアは厳しい口調で言いつつも、顔を合わせようとはしなかった。ただ、四畳間の部屋の大凡半分を占めているベッドに寝転がったまま、ノートパソコンで作詞をしているのか、忙しなく右手を動かしていた。  ベッドの足元に腰掛けていた咲空は、例の如く小説を読み耽っていたのだが、ノアの言葉に渋々顔を上げた。 「確かにのあちゃんの言っている事は正しいと思うけれども、ほぼ初対面の相手に対して例え御世辞であっても綺麗だ、等と言えてしまう様なヒトは怖気(おぞけ)が走るわ。そもそも邪険に扱われても関心を失わずにいるなんて、それこそ何か裏があるとしか思えない。例えばのあちゃんに近付く為に、私を踏み台にしようとしているのかもしれない」と生真面目な顔で答えたのだが、ノアはその言葉を聞くや否や、腹を抱えて笑った。 「冗談。さくらちゃんがなんでそんな発想に至ったのか、不思議で仕方がないわ。やっぱり前言撤回して、神田と付き合えとまでは言わないから、ただ会話をしてみれば良いのよ。あたしを特別視してくれている事は勿論嬉しいけど、他の人間とも関わらなくちゃ。直に別個の道を歩み始める事になるのだから―…」と言って、ノアは憂いを帯びた瞳で笑った。 「のあちゃんって、カポーティの小説に出てくる女の人みたい。綺麗なだけじゃない、あっけらかんとして格好よくて。私もそう在りたいんだ」と言って咲空は手にしていた小説を閉じると、複雑そうに微笑みかけた。  その日以降、三人で共有する時間は急速に増えていった。  尤も、三人集まって出掛けるという訳ではなく、(もっぱ)らノアの部屋に集まり――ノアは母子家庭で、母親が在宅している事は滅多に無かった為、気を遣う必要がなくて都合が良かったのだ――思い思いの時間を過ごす事もあれば、将来の夢に関して話し合う事もあった。  初めて二人が各々の夢について律に話して聞かせたのは、開け放たれた窓から流れ込む、甘ったるい金木犀の香りに包まれた十月の半ばだった。
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