第7章 夕涼みの誘い

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「そんなに怖い顔しないで下さいよぉ」 扉を閉めた途端に、睨みつける勇樹。 そんな勇樹に、真奈は悪戯っぽく笑いながら、両手を上げて見せる。 降参の仕草。 「偶然入った店に、由美子さんがいただけですってば。それに、私、約束守ってますよぉ?」 「どこがだ、皆の前で当てつけるように……!」 「会社や人事関係者に私達の関係は公表してませんよねぇ?あくまでも、一般論ですよぉ、不倫のね?」 「ぐっ……」 言い負かされて、唇を噛みしめる勇樹。 確かに、話題は2人のことではなかった。 「生意気なこと言ってごめんなさい……でもぉ」 背中を向けて、出ていこうとする勇樹のスーツが引かれる。 振り向くと、伏し目がちに応える真奈。 「知ってもらいたかったんですぅ……由美子さんだって、楽しくやっているってことを……」 「……由美子には、浮気なんかできるはずがない」 しばしの沈黙の後、勇樹が呟く。 逡巡している間に、勇樹の僅かな心の揺れを感じ取った真奈。 心に芽生えた、小さな小さな疑惑の芽。 「わかりませんよぉ、由美子さんも妻である前に女ですからぁ……ところで、課長は黄色のバラの花言葉を知ってます?」 「知らん。それより話は以上だ!赤木も早く戻れよ」 そう言い残すと、扉に消えた勇樹。 自分の心に、慌てて背を向けるかのような早足で。 由美子に唯一指定した、黄色のバラ。 バラの花言葉は、大半のものが良い意味を持つ。 赤の愛情、ピンクの上品、白の尊敬…… 父の日には、幸せや幸福の象徴として黄色のバラを贈る。 ただ、黄色のバラに隠された正反対の花言葉。 ”嫉妬”、”不貞” 真奈の心の声を象徴した花。 何はともあれ、あのアレンジメントをきっかけに、勇樹の心に種をまくことができた。 イケメン店長の話は、種を出芽させるための栄養分。 (あとは、この疑惑を大きく育て上げるだけぇ……) 疑惑に真実など必要ない。 ただ、それを取り繕う体裁だけあれば良いのだ。 疑惑など、真奈には、いくらでも作り出すことが出来る。 「さぁて、どんな花が咲くのかしら……?」 出来れば、目を背けたくなるような醜悪な花を願う真奈。 その疑心暗鬼の花が、勇樹と由美子の間を引き裂くことになるだろう。
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