第7章 夕涼みの誘い

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隣に眠る、由美子の顔を見つめる。 明日、別の男と夏祭りに出かけることを楽しそうに話していた。 喜びに溢れた明るい顔。 (そんな顔をさせたのは、自分ではなかった……) そのことに、酷く胸が痛む。 ”由美子を女として見れなくなった” そんな言い訳で、浮気をしてしまった勇樹。 そんなことはない。 女性はいくつになっても、女なのだ。 (ごめんな……) 苦しくないぐらいの力を込めて、抱きしめる。 腕の中の由美子に謝りながら、勇樹はゆっくりと瞼を閉じた。 「あれ……?」 妙に寝苦しい夜。 身動きが取れず、一晩中抱きしめられているような気分だった。 起き上がって、隣を確認しても誰もいない。 (勇樹?……そんなわけないよね) 勇樹自身は、既に仕事に向かったようだ。 (何か凄く恥ずかしかったような……?) 昨晩の記憶は、曖昧で覚えてない。 頭が思い出すのを拒否しているかのように。 「さて、今日も頑張りますか!」 夏の太陽。 朝から眩しい光に、思わず目を細める。 今日は夏祭り。少しオシャレをしていきたい。 気合を入れて、ドレッサーに向かった。 「……俺、すげぇ忙しいんだけど?」 わかってるよな、と睨みつける純也。 芸能事務所との契約破棄も、代替の女優もいまだ見つかっていない。 特に、女優探しは契約先の事務所が圧力をかけているのか、他の事務所に行っても門前払いだ。 正直、焦っていた。 「もうっ!そんなにイライラしても上手くいかないわよぉ」 珍しくスーツに身を包んだ鈴。 長身にダンヒルのスーツ。 時計もいつもより良いものを身に着けている。 見かけはエリートビジネスマン。 そんな鈴に、出かける寸前、捕まった純也は苛立ちを隠せない。 「放っとけ!俺は行く!」 今日は、地方の芸能事務所を回るつもりだ。 上手くいけば、話を聞いてもらえるかもしれない。 (早く、早くしなければ……) 「ガゴッ!!」 強引に振り切って、扉を開けようとする純也の進行方向を、鈴が遮る。 その長い足で通路を塞いで。 「逃げんなよ、純也」 勢い余って壁を蹴りつけた鈴が、静かな声をだす。 いつもと全く違う、低く地を這うような声。 「今日は仕事をするな……”俺の命令”聞けるよな?」
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