第1章

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    妻 が 襲 う    1      書けなくなった。  誰が見ても、順風満帆の作家生活だったのが、突然の大スランプに襲われた。  デヴュー後、三作目の途中から、推敲するのに便利だと同業の先輩にすすめられて、パ ソコンのワープロ・ソフトで原稿を書いていたのを、初心に帰る意志も篭めて手書きに替 えてみたが、効果があるどころか、原稿用紙を眼にすること自体が、苦痛に感じられた。 それをワープロ・に慣れすぎたためと思い、無理に原稿用紙に文字を埋めようと、自らを 強いた。それが、事態を尚一層よくないものにしたのかもしれない。精神的に無理をしす ぎたせいか、原稿用紙の升目を見ただけで、激烈な頭痛がするようになってしまった。そ れでまたワープロ・ソフトに切り替えたのだが、悪くなった事態は、もはや収拾のつかな いまでになっていて、一言なにか打つだけで、吐き気をもよおす始末だった。  生まれて初めての経験だった。  人気のホラー作家として、ベストセラー作家として、僕は多作の部類で、才能に限りな い作家であると評価されていて、自分でも書けなくなることなど、想像すらもしたことが なかった。新人賞を受賞したデヴュー作を書いていた時に、すでに書きたいアイデアが山 ほどあって、早く次の作品に取りかかりたくて、焦る気持を抑えるのに苦労したほどだ。 それは、デヴュー後もずっと続いた。折からのホラー小説ブームと、日本にホラー小説を 書く作家が少なかったのと、出版社の宣伝が上手かったことなどが重なって、僕の作品は どれもこれも売れて、注文も次から次へと限りなかった。作品のいくつかは映画化され、 僕はホラー小説の第一人者となり、大有名人になり、大金持ちになった。それでも作品の アイデアは尽きることなく、講演やマスコミ対応などに時間をとられて、執筆の時間が減 れば減るほど、書きたいという欲求が募った。  ああいうのがブームというのだろうと、今になれば思う。今では、僕にもかなりの固定 フアンがついていて、出版されれば僕の本は、ほかの作家の追随を許さぬ売上げを上げる のは間違いない。だが、国中を騒がせたホラー作家『牧野慧』ブームは、一先ず沈静した といっていいだろう。僕はブームで祭り上げられた作家から、一流の人気作家へと、ステ ップアップしたのだ。もう、これまでのように、読者の嗜好を気にしたり、忘れられるこ
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