第1章

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平日の夜はほとんど酔っぱらって帰宅しすぐに寝てしまうし、休日は昼間から飲んで 寝ないと損だとばかりに寝てばかり。日常最低限の生活を維持するだけでもほかにし なければならないことがいくらでもあるし、音楽を聴くためだけの時間を確保するの にはよほどの意志が必要だ。音楽がなければ生きていけないどころではなく音楽が好 きだとすらいう勇気ももはやない。そんな勇気を音楽に限らず、ほかのなにに対して も持てなくなってきている。  とはいえ電車のガタンゴトンという単調なリズムではなくローリング・ストーンズ のビートに揺られているから毎朝の出勤にも耐えられる。そんな自分を完全に無視す ることもできない。  アルバムが一枚終わる頃、電車は目指す駅に着く。  イヤホンからは『友を待つ』が流れている。この曲のプロモート・ヴィデオはメチ ャクチャかっこよかった。街なかでミック・ジャガーが誰かを待っていて、そこにく わえ煙草のキース・リチャーズがよたりながら歩いてきて二人でバンドの仲間の待つ 酒場にむかうというだけなんだけど。女を待ってるんじゃない、友達を待ってるんだ って曲だ。  その曲に耳をかたむけながら電車からホームへと押し出される。  そのまま改札へとむかう流れに押され続ける。  ラッシュ・タイム、流れに逆らうやつは滅多に見かけない。  ところが、その朝はいた。  ホームから改札へとむかう過密した人の流れに逆らい一人ホームにむかって人波を かきわけて進む太った男がいた。  見覚えのある男だ。  電車から押し出される前にイヤホンは耳からはずしていたが頭の中でロックン・ロ ールが響き続けているのを意識した。  強引に流れを横切って、その男に近寄り肩をつかんだ。 「ケン?」  太った男がそういった。 「やっぱりタケや。ひさしぶりやなあ。どないしたん、えらいこえてしもて」 「そやねん。もともと小太りやったけど、今や立派な肥満やろ」  といってタケは笑った。  お互いに出勤途中だと察して現況を知り合うために名詞を交換し慌ただしく別れた。  そのままいつもと変わらぬ勤務時間をいつものように過ごしたのだが一歩会社を出 た途端にタケに頭を占拠されてしまった。  タケの思い出。  あの頃、もう十年になる、学生だった頃、ロックバンドにいた頃の思い出だ。  その夜は酒も飲まず急いで家に帰り押し入れの奥から埃に塗れたギターを発掘し、
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