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「じゃあ、なに。ケンが机にむかってお玉杓子を書いてたってわけ」
「ちゃうちゃう、楽譜はよう書かん。ギターでコードつけてテープに録音してたんや」
「ギターなんか持ってた?」
「押し入れにしもてたんや。ほれ嘘やない証拠に音聞かせたろ」
「ギター弾けるの?」
「ちょっとだけな。学生の頃バンドしてたんや」
「そんなん、あたし知らんかった」
「そんなこといちいち教えなあかんか」
「そういわれると、あれやけど。でも音楽が好きなんは知ってたけど、バンドしてた
なんて形跡ないやん」
「やめてまうと案外、そんなもんなんととちゃうか。今朝、たまたま、その時のメン
バーの一人とおうてなあ。ほんなら懐かしなってしもて」
「またやったら」
「なんで?」
「カッコいいやん」
「カッコええことなんか全然ないよ」
「そうなの? ヘタなの」
「少なくともうまいとはいえんなあ。二流のライヴハウスにしか出られへんかったか
らなあ」
「ライヴハウスに出てたの?」
「二流のな」
「じゃあ、うまいんやない」
「うまかったら一流のライヴハウスに出れてたやろ。お前も知ってるような」
「絶対に、またやるべきよ。ケンにお酒と女以外に特技があったやなんてほんまにビ
ックリ」
「特技なんてゆうほどのもんやないって。妙な誤解せんといてや。けど、これで最初
の誤解はとけたよな」
「ゴメンなさい。じゃあもう切るから続きやって。今度、絶対に聞かせてね、その曲」
「ん? 気がむいたらな。そやけど、誰にもこんなことゆうなよ」
「どうして?」
「恥ずかしいやないか」
「どうして?」
「どうしても」
「ヘンなの。ただの飲んだくれの方がよっぽど恥ずかしいと思うけど」
電話を切ってから気に入った録音ができるまでに二時間もかかってしまった。その
あとはそのテープを聴きながら本来のただの飲んだくれになって酔っぱらって眠った。
〈●月▲日〉
朝、昨夜録音したテープをウォークマンにセットして満員電車に乗った。
電車の中吊り広告の就職雑誌の宣伝が目に入る。必見業界別ランキングだの必勝面
接徹底攻略法だのと無責任に大げさな見出しが踊っている。こういうのに騙されたこ
ともあったっけ。今はどんな業界が人気なのだろう。企業のランキングではあいかわ
らず財閥系が人気なのは想像がつく。公務員の人気が落ちないのも。十年前は広告業
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