第1章

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界が大人気だった。コピイ・ライターが時代を語る最先端のクリエイターのごとく扱 われ広告を楽しめないのは気の利かない田舎者同然というような錯覚をマスコミが振 り撒いていた。そんな扇動に乗ったわけではない、などとは決していえない。だが広 告会社に就職したことを悔やんでいるわけでもない。今ではどんな仕事に就いていて もそれほど変わりはないだろうとしか思えない。  すでに実施の決定しているある食品メーカーのちょっとした新製品発売キャンペー ンの展開案を社内の制作スタッフと打ち合せしている時に電話が入った。タケからだ った。今夜飲みにいかないかと誘われてOKした。ケチなCMモデルの女とデートす る予定だったのだが断りの電話を入れた。急なプレゼンテイションが入ったのだと嘘 をついて。  朝から昨夜のテープを聴いていたせいか頭の中にはずっと『ロックバンドにいた頃 が懐かしい』というフレーズが渦巻いていた。時々、他人に聞こえないように注意し ながら小声で口ずさんでいたりすらした。 「えらいご機嫌やなあ。なんかええことでもあったんか」  と突然、声をかけられて飛び上がった。同期入社で一番仲のいい男だった。 「べ、べつに機嫌ええことなんかないで。そんな風に見えるか?」 「鼻歌うとてたやんか。でっかい仕事でも決まったんか」 「いまどきでっかい仕事なんかそないにあらへんのはお前かて百も承知やろ。それに お前のクライアントとちごて、こっちは広告予算自体がそないにないんやから」 「ほなら、どっかでええ女でもひっかけたんか」 「べつに機嫌ええわけやないて」 「怪しいな。なんかヘンや」 「ヘンなことないて。いつもといっしょや」 「ちっとは、こっちにも女まわせよ」 「ちゃうてゆうてるやろ」 「そうか。ほんなら今晩、久しぶりにちょこっと一杯いこか」 「いや。今晩はあかんねん」 「ほれ、見てみぃ、やっぱり女や。今度はどこのやつや。ひょっとしてタレントか?  まさかアイドル系やないやろうな」 「ひつこいなぁ。学生時代の連れと約束あるだけやがな」 「連れて、スカート穿いた連れか?」 「ものすご肥えた連れや」 「お前、ポッチャリが好みやもんな」 「あー、もー、勝手にゆうとけ」  思えば、友人なんて、たまたま同じコミュニティに属した複数の他人の中での相対 評価でしかない。だから自分がメインに属するコミュニティが変わる度に一番親しい
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