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電話の呼び出し音が聞こえた時には、心底、ドキリとした。心臓は、口から飛び出しそ
うなほど波打っていた。仕事部屋のドアを少し開けて、電話に出た妻の声に、聞き耳をた
てた。
妻は、機械的な受け答えをしていた。感情的な様子は、うかがえなかった。妻の「お待
ち下さい」という声が聞こえたところで、僕はそっとドアを閉め、仕事机に戻った。すぐ
に、廊下に、妻の足音が響いて、ドアがノックされた。
僕の返事と同時に、真理子がドアを開けて、
「石津さんからお電話よ。作品の進捗状況が悪いから、一週間ほどホテルに罐詰になって
もらうっておっしゃってるわよ」と早口にいった。
「罐詰だって」
彼女の方に顔をむけながら、不快そうに聞こえるように、努めて僕はそういった。
「あら、知らなかったの?」
と彼女が、怪訝そうにいったので慌てて、
「聞いたかもしれないけど冗談かと思ってたんだ」
と、僕はもう馬脚を現しそうになる。
「じゃあ、聞いてたのね」
「え、ああ、どうかな。よく覚えてないな、そんなこと」
もうそれ以上、彼女とまともに応対する自信がなかったので、僕は電話の置かれている
場所にむかって、妻を押し退けるように、仕事部屋を出た。
受話器を手に取るや、真理子に聞こえるように、僕は常ならぬ、大きな声で話し始めた。
「罐詰っていうのは、どういうことだ。まさか本気だったなんて思ってもみなかったよ」
電話のむこうで、石津はクスクス笑いながら、こんなことをいっている。
「ちゃんと嘘がつけるじゃねぇか。さすがにプロの小説家だけのことはある」
「うるさいんだよ。俺のことが信じられないっていうのか」
「信じた妻が、バカを見るってか」
「俺が、今までに一度でも、お前を裏切ったことがあるか」
「そんなこと、奥さんに胸張っていえるのか」
「そうか、わかったよ。それほど俺のことが信用できないんなら、お前のいう通りにして
やるさ」
「お前の方が、そうしたいんだろうが」
「しかし、いっとくぞ。これが、最後だからな。今度こんなことがあったら、もう二度と
お前んとこの仕事は受けないからな」
「俺だっていわせてもらうぜ。これが最後だからな。もう二度とこんな遊びはゴメンだか
らな」
そこで、僕は力一杯、大きな音がするように電話を切った。そして、怒り心頭に達した
かのように、わざとドタドタと足音をたてて、仕事部屋に戻った。途中で、真理子とすれ
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