第1章

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と話し込んでいた。僕が、車を発進させてからも、手を振る石津の姿が、完全に見えなく なるまで、後をむいたままだった。  この『別荘行き』は、真理子にとって、それほど不安なことだったのだろう。前日、フ ルーツナイフを振り上げた男と、二人きりになるのだから無理もない。別荘地に行ってし まえば、石津に助けてもらうこともできない。彼女が、怯え不安になるのも無理もない。  それに、真理子はもともと自然の中で暮らすのが、あまり好きではない。嫌いだといっ ていいほどだ。特に、山の中は、短期間の旅行ででも、行きたがらない。山の中は、霊気 が強いらしく、落ち着けないのだそうだ。それでも『僕の治療』のために、むしろ、進ん で別荘地に同行してくれる、真理子の大いなる愛に、僕は感謝しても、し尽くせないとい う思いを、胸に刻みつつ、何としても立ち直ろうと決意した。    2  久しぶりに、清々しい気分だった。  標高が高いために、初夏といっていい季節にもかかわらず、朝晩は、まだ寒いくらいだ ったが、それが気分を引き締めてくれる。冬は、スキーも楽しめるらしいこの別荘地は、 温泉も出るのに、観光地としては知られていないようで、「閑静な」という形容がピッタリ の別荘地だった。まだ、夏休みをとるのには早すぎるせいだろう、あたりの、ほかの別荘 には、誰もいず、もともと人の住めないような場所を、切り開いて別荘地にしたようで、 地元の人の住居もない。麓の町までは、車で四十分ほどかかり、その不便さえ辛抱すれば、 休養するには、最適のロケーションといえた。  ここに来た日から、生活の一新を誓った。これまでのような夜型の生活を、改めようと 決意した。夜型の生活そのものが、僕に仕事を思い出させると思ったからだ。夜型の生活 から、完全に抜け切るのに、二週間ほどかかった。その二週間は、僕にとってだけではな く、真理子にとっても辛い期間だったと思う。僕は、ここに来てからは、どんなに辛くて も、真理子にだけはあたらないように努めた。こんなところまで、ついて来てくれる妻に だけは、何としても、あたるまいと自身に、いい聞かせ続けた。自分一人で、苦しみに立 ちむかい、暴れずにはいられなくなると、夜中でも外に飛び出して、森の中で叫び声を上 げた。そんな僕と二人きりでいて、真理子は、家にいた時とは、また別の苦痛を味わって
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