絞殺魔くんと、無気力さん。

3/9
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
最初の一歩が肝心なのだと聞いたことがあった。そこから関係を構築していくのだとけれど、その一歩すら踏み出し方がわからない。共通の話題もなく、相手と会話を続けるなんて、頬の筋肉が強張って愛想笑いしかできそうにない、そんなことを続けていればきっと顔が筋肉痛になるか、精神的にポッキリと折れてしまう。よく療養のために田舎に来るなんてことがあるけど、本当に療養なんてできるか不思議だ。まぁ、私は病人なんかじゃない頑丈なだけが取り柄の女だ。 友達なんていない。携帯なんてそれこそ暇つぶしの置物でしかない。他人の交友関係を広げたいとも思わない。テレビのニュースでやっていたことをふっと思い返した、夫が妻を撲殺した後、自分も包丁を首に突き立てて自殺したらしい。原因は不明、傍らにはアボカドを喉に詰まらせて絶命していた猫がいたらしいが、事件とはなにも関係ないだろうという、妙な殺人事件のニュース。 世の中には良好な関係を築いておきながら、事件になることもある。だったら、誰もが孤独でいればそういった事件も半減するんじゃないだろうか、なんて屁理屈をゴールデンウイークの初日からぼやいているあたり私は相当なひねくれ者だろうか。 暇つぶしに携帯小説のサイトを開く、つらつらとページを眺めつつ、ある一つの小説に行きつく。『ソムリエの苦悩』。ネーミングセンスの壊滅状態な作者だ。内容は主人とソムリエという男二人が破滅していく短編小説だが、ソムリエがまったく苦悩していないことが気になった。単純な勢い書いたか、テーマとかけ離れ過ぎたソムリエの性格、あとは一種の素人臭さと安易なネーミングが伺えた。内容は以下略とさせてもらうと、自分勝手な評価をしたことに嫌気がさした。私はまともに小説なんて書いたこともないくせに、いっちょ前に評価を下すべきじゃない。本当に口先だけだな。私はーーーー。 私もソムリエや主人のように欲望に忠実だったら、欲望と呼べるものがあったならきっともっと違う道だって開けていたかもしれない。まぁ、無理だろうが、空っぽなのだ。私は人の形をしていてもなんの中身もない空洞だ。ちくわのように穴が開いていて、そこから空気が流れ出ていく。ちくわのほうが食べられるだけ利用価値があるか。私にはなんの価値もない。生きているのか。死んでいるのかさえ、わからないのだ。 息を吸って、吐いてだけを実感しているなら私は生きている
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!