第1章

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僕にとっては、その自由こそが不幸を生む種なのです。社会では様々な自由の例を目にすることができます。表現の自由、職業の自由、結婚の自由。住む場所も自由に選べますし、何を着るかも食べるかも自由です。もちろん、自分もそんな自由の権利を利用している者の一人です。僕が今こうしてパリに滞在しているのも自分の意思で決めたことですし、前の仕事を辞めたのだってクビを言い渡されたわけでもなく、自分の意思で決断したことです。僕が恐れているのは自由そのものではなく、それに付いてくる責任の重みです。そうすることを選んだのが自分だからこそ、その後に起こるすべての出来事の責任は自分にあって、例えそれが途方もなく悲惨なことであっても、自分以外の誰も責めることができない。その事実が、脅迫であるかのように僕を震えさせるのです。 僕は、空を自由に飛ぶことのできる腹を空かせた鳥になるよりも、毎日決まった時間に一定の量の餌を与えられる檻の中の豚でいる方が、幸福を味わっていられるのです。 自由であるから選択を強いられ、その責任はすべて自分に押し付けられる。けれど、自分の選択は結局他人に左右されるもので、でもその他人の本心は分からない。良かれと思って取った言動が裏目に出ることなんてしょっちゅうです。どうして神様は、人間に自由などというややこしい権利を与えたのですか? 僕は何も選びたくない。自由なんて欲しくないのです。些細な自分の選択が残りの人生の道筋を決めかねないと思うと、地下鉄で電車の何両目に乗るかということにさえ頭を悩ましてしまいます。この車両に乗ると、気まずい知り合いと鉢合わせになるかもしれない。でも、こっちの車両だとヤクザ風の人と相席になってしまう。もっと前方に、いや、やはり後方に。どの車両が「正解」なのか、そんな根拠はどこにも見当たりません。
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