3人が本棚に入れています
本棚に追加
◇
「それで先生が『あなたならヴァイオリンで世界を取れる!』って! 大げさだと思いません? 笑っちゃいますよね?」
「君なら本当にとれるんじゃない? 上手なんだし」
「先輩、私の演奏聴いたことないでしょうが」
「だって、聴く機会無いし……」
「じゃあ、今度聞かせてあげますよ。先輩だけの特別演奏会です。県内一位の私の演奏を独り占めなんて贅沢なんですよ?」
「県内一位(自称)の帰宅自転車乗りの俺の荷台に乗れるのも贅沢なんだぞ?」
「はいはい。噛み締めときますよー。がぶり」
今日はいい天気だった。ホームルームも早く終わって、時間には余裕があった。
いつからか俺は彼女と普通に喋れるようにまでなっていた。ずいぶんな進歩だ。最初はとても気まずかった。だって、美少女が自分の背中に密着してるなんて意味が解らなかった。幸せすぎて居心地が悪かった。
だけど、今は彼女といるのが心地いい。
「ん? 先輩? 今日はトンネル通らないんですか?」
彼女は不思議そうに聞いた。
「ああ、今日はあのトンネル工事してて使えないらしいんだ。今日は踏切に行こう」
「はーい」
俺は自然に嘘を吐いた。
もう、俺はとっくにダメ人間になっているようだ。いや、これが正常なのか。一般的な人間と一緒なんだ。
この感情がそうなんだ。
「遅いですねー。踏切」
「まあ、開かずの踏切だし」
貨物列車が通過する。彼女は自転車から降りて退屈そうにその列車が過ぎるのを見送っていた。俺はそんな彼女のことを見ていた。
「あれー? 今ので開くと思ったのにー」
「まだ、電車来るみたいだな」
しばらくして電車が俺達の前を通過した。それを彼女はやっぱり退屈そうに見送った。それを俺は。
やっぱり俺はどうかしちゃってるみたいだ。
彼女を一刻も早く家に届ける、それが俺の役目だというのに。なんでだろう。
「……開かなければいいのに」
「? 先輩なにか言いました?」
「!? いや、なんでもない!」
電車の音に紛れて俺の声は、願いは掻き消されたようだった。だけど、俺の願いだけは。
どうか、掻き消されず叶ってほしい。
なんて考えてしまう。
この日を境に俺は、速さにこだわることをやめた。
最初のコメントを投稿しよう!