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頭や顔を触られ僕だけに話しかけてくるこの声が、思い出すまいと押さえつけていた過去を呼び覚ます。
髭を剃ってもらう心地好さを味わいながら、付き合っていた5年間の楽しかった時間を思い返していた。
ふと記憶の中の優しい真さんの顔が、理容師さんの顔に刷り代わり、一瞬ドキッとした。
久しぶりにこの目で見た鏡の中の男性が瞼に焼き付いたようだ。
口元を拭き取りケープが外された。
『終わりましたよ。少しは気分が晴れましたか?
それと、さっき言った髭剃り、やってみて下さい。
とても綺麗になりますから・・・
あっ、額に切った髪の毛が付いてますから触りますね』
そう前置きを入れて額の髪の毛を摘まんで……
その指先の背が顔のラインをゆっくり愛撫するかのように降りてきて、離れていった。
指が頬を降りていくほんの数秒、その数秒間に……興奮した……
それは真さんの指でもなく、1時間ほど前に初めて会ったばかりの彼の指。
死にたいと考えている僕には不必要な感情だった。
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