彼は上下左右である

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それを人は知恵とも呼ぶ。理性とも呼ぶ。これは規律、秩序、認識、幸福、不幸、夢、現実、嘘、幻、事実、虚実、差異、誤差、語弊。そんなもんだ、何時までも騙されていればそれで済んだ筈だろうに、なんでこんなにも嫌なんだ。 ああ、そうだ。自分は考えるのに向いていないからだ。 「思春期だからなー……」 この言葉で片付いた。有り難い一言だった。特に晴れやかな気分だぜ、畜生がと思えるのがそんなもんであると認識出来た。 薄く、瞼を上げる。瞳を守っていた瞼が剥がれるにつれ、網膜にやや温い外気がへばり付く。難が一つないと言うなら暗い事で、これで我が物顔の光源が居座っていれば嫌気がする。 改めて、薬品の匂いが充満した暖かな一室にいるのを静観した。眼下にはベッドに横たわり、掛け布団の中で寝息を立てる姉がいた。茶色を含んだ長髪が白いだけの布団に広がっていて、綺麗だ。 死んだように寝息を立て、澄んだ表情で寝ている。鉄パイプの椅子に座り直せば鉄パイプから微かな悲鳴が上がる。僅かに前屈みになって、立ち上がろうか迷う。そろそろ姉である上下桃――じょうげもも――も寝たのだから、何時までもこの場にはいられない。 広がった髪に手を向け、寸前で引っ込めた。起こしたら機嫌が悪くなるのは自明の理である。姉ちゃんは安眠妨害を好まないし、自分もそうだ。通例であれば、安眠妨害を好む人は存在しない筈なのだ。手を引く訳や理由としては、姉ちゃんの寝顔が嫌いではないからだった。 帰宅する主旨を伝えてから帰ろうとは思っているのだが、態々起こしてまで伝える事ではない。あれから一年経った姉ちゃんにすべき対処は、静かに、邪魔をせず、付き添う。これに限る。立ち上がる為に両手を膝の上に乗せた。
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