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僕がそのまったく進化の袋小路にはまりこんだような奇妙な生き物を見かけたのは、半袖シャツで出歩いても少し汗ばんでくるような五月の陽気の中、冬物のコートをようやくクリーニング屋に出した帰りのことだった。
そのコートは、流行にもう二周半ほども遅れてしまっている、妻にはもう捨てろ捨てろと言われ続けている代物だったのだけど、着崩れた感じが妙に肌に馴染んでなかなか捨てられないでいたのだ。
ボタンの欠けの補償はできない等のくどくどしたクリーニング屋の説明を適当に聞き流して店を出た僕は、近道をしようとして、ついうっかりと通り抜けられない路地を選んでしまった。
向かい合わせの家の軒がくっ付きそうなほどに狭いその路地は、20メートルほど進んでもどこにも出ず、どうやらこれは引き返した方が良さそうだと思い始めた頃、少し先の軒下にそいつが立っていた。
「こんにちは」
そいつが言った。
「こんにちは」
仕方なく僕は答えた。
本当はこんな所で、見知らぬ姿の生き物に関わりなんてもたない方がいいということぐらいは僕にも分かっていたが、挨拶をされて返事をしないというのもけっこう座りの悪いものだ。
だから僕が挨拶に質問を繋げたのも社交辞令以外のなにものでもない。
一般的な社会人にとって挨拶と社交辞令の質問はセットになっているのだ。
それは要不要の話ではなく、コンビニの割りばしの袋に爪楊枝が一緒に入っているのと同じで決まり事なのだ。
「こんな所で何をしているんだい?」
「あと20センチが届かないんですよ」
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