◆プロローグ◆

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「……すみません」 「ん? 何が?」 「勝手なこと言って」 「ああ、そんなこと。別にいいよ、人間はいつだって勝手な生き物だからね」 男は言うと、雨里に背を向けた。 「さあ、部屋に案内しよう。君も一応御客様だからね」 「……あの、名前、なんて言うんですか?」 「名前。ないよ」 「え……?」 男は玄関のすぐ左横にある階段を上る手前で、立ち止まって振り返った。 長く濃い睫毛を、そっと持ち上げる。 ビー玉のような真っ黒な瞳は、美しく澄んでいた。 目を開けた彼の顔は、雨里が出逢ってきた中で、一番綺麗だった。 その瞳に、この世のものが映ることはない。 「僕のことは“靄禅堂”って呼んで。君の名前は?」 「……志津雨里です」 「雨里ちゃんね。よろしく」 階段を上り始めた靄禅堂は、涼しげに言った。 「しかしこんな嵐の日に訪れるなんて、君も馬鹿な女だな。つくづく運が悪い。たまげるよ」 「……」 靄禅堂の背中が見えなくなったところで、雨里は拳を握り締めてぽつりと呟いた。 「……なんて性格の悪い奴……!」 雨の音は止んでいた。不細工なぶち猫が、大きな欠伸をして、奥へと姿を消した。
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