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――目は、もっとやさしかったような気がする。
田辺由加はマウスを動かして、モニターに映し出された〝あの人〟の目尻を少し下げてみる。
目尻は下がったが、今度はべそをかいた泣き顔のようになってしまった。
――こんな顔じゃない。〝あの人〟の目はどこか人を引きつける、魅力あるものだったはずだ。
目尻のラインを戻して、今度は眉に手を加えようとする。
「へえ、すげえ。絵うまいじゃん」
急に背後から声をかけられて、由加は飛び上がりそうになった。
午後の十時。社員は全員が退社したものと思っていたのに、由加が振り返ると先輩社員でデザイナーの園井康太が腕組みをして立っていた。
「あ、いえ!」
「いいよ。ほかのやつらには黙っててやるから」
園井はそう言うと、近くの椅子を引き寄せてモニター画面をのぞき込む。かすかにアルコールの臭いがした。
由加は急いでファイルを閉じようとするが、指先が硬直してマウスの動きがぎごちなくなっている。
「これイラレだよね」
「はい」
イラレとは、業界用語でアドビシステム社のドローソフトであるイラストレーターのことをいう。
その日もまた、由加はひとり会社に残って、〝あの人〟の顔を描いていたのだった。
「コマンドキーとSキーを同時に押すとセーブできるから。そのファイルを閉じるならコマンドキーとWキーを」
園井の言う通りに指を動かして、ようやくファイルを閉じることができた。
「……すいません」
ようやく言葉を絞り出す。
「まー、私用で会社のパソコンを使うのはどうかと思うけど、それ、なんかの内職?」
園井は、腕組みをしたまま顎を動かす。
「いいえ。そんなんじゃありません。ただ……」
「そうだろうね。イラストっていうより肖像画か。かなり精密な絵だもんな。でも、驚いたよ。田辺さん、絵の才能があるんじゃないの」
「……いえ」
由加は、この場から逃げ出したい衝動を抑えていた。
「いつも頑張って残業をしてくれてるじゃない。それは社長も感謝してるって。でも、こう何日も続くとね。なにやってんだろって話にもなるわけ」
「それは私の仕事が遅いから……。でも、仕事はちゃんとやってます」
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