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真夏の悪夢
「柴田継(しばた けい)だ。あれは、私が夏に実際体験した話だ……」
青年は目を閉じて、その光景を鮮明に思いだし、語りに入った。
夏休みを利用して故郷に帰省した時の話。蒸し風呂のように暑い日の夜だった。ちょうど今日のような。夏祭りが近付いていた日でもあった。遠くから祭り囃子の音が聞こえてきて……そう、ちょうど今のように。
昔、継の家には、姿映しの鏡があった。等身大の、服屋に置いてあるくらいのものだ。いつからあったのかは正直覚えていない。ただ、壁にはりつけるようにしておいてあった。その鏡はネジで取り付けるでもなく、壁に嵌め込んでいるというわけでもないのに、どんなに大きな地震が来ても一度も倒れなかったのが、よく印象に残っている。
ある夜……継ははっと目が覚ました。トイレというわけでもなく、通年通りの寝苦しい暑さの所為だ。太鼓の音や提灯の明かりが妙に遠く感じて、あまり遅い時間帯ではないことを知った。何となく喉が渇いて、布団からでて、台所に向かった。台所に行くまでの廊下の突き当たりにその鏡がある。いつもその鏡が不気味だった。夜だし、水だけということで電気もつけていないおらず、薄暗い中で鏡の反射だけがボヤッと自分を映し出している。お化けの正体見たりなんとやらとは言うが、それでも怖くて仕方がなかった。
足早に台所まで歩いて行き、水道水をコップに入れて、一気に飲み干した。日本だからできることだ。一気に水を飲んだらいろいろと吹っ切れて、怖さが飛んで行ってしまったような気がした。もう一度、ゆっくり水を飲み干して、落ち着きを取り戻した継は電気をつけて台所を出た。明るくなった廊下はあまり怖くなくて、鏡は背後、継は安心して廊下を歩いていた。
その時……ズリッ……ズリッ……背後から何かを引きずるような音がして、バターンッッ!
倒れたこともない鏡が倒れる音がした。継は反射的に振り向いた。
「……さて、そこで問題だ、何があったと思う?」
「……鏡から、人が出てきた? そうだ、ジュリア、ピタリだな。そう、人、いや人間の形をした何かとでも言おうか。あれは――」
その鏡から出てきたのは、格好以外は、自分のコピー人間そのものだった。ひきずった音というのも、刀袋を引きづっていて……深緑の軍服に身を包み、頬に付着している赤をふきもせず、日本刀を狂気の瞳でベロリとなめ上げ、倒れた鏡を踏みつけて近づいてくる……そいつは確かに、継と同じ顔だった。いや、自分自身だった。
ゆっくり、ゆっくり、口元に笑みを携えて、むき出しの刀を引きずって、自分の方に、ゆっくりと、確実に。逃げたかった、逃げないといけないと思った、しかし足は動かない。全身、凍りついたかのように。
そして自身にむけて、刀を振り上げて――
「馬鹿め」
そう吐き捨て、笑い出したんだ。
はは、は、ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは、ハ、ハハ、ハハハハ、ハハハハハハハハハハハ、ハハハハハ、ハハハ、ハハ、ハハハハハハ、ハハ、ハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
……そうして継の右肩を切りつけて、驚くほど簡単に消えた。そこで金縛りが解け、気を失って、倒れるようにして廊下に伏せこんだ。もう、太鼓の音も聞こえないし提灯の明かりもなにも、見えなかった。鳥の鳴く声がして、はっと目が覚めると継は布団の中で寝ていた。
一瞬、夢かと思ったが、すぐ右肩に鋭い痛みを感じて、見るとパックリ見事に切れていて……布団にもベットリと紅いものがついていた。肩の痛みを堪えて廊下に出ると、鏡はいつもの所にきちんと壁にかかっていた。しかし、鏡に映る自分は『自分』ではなかったよ。鏡のすぐ傍には赤にまみれた日本刀が落ちていた。
「……それ以来、その鏡を見るたびに軍人の私が私に話しかけてくる。迂闊に近づけば手が私の喉に伸びてきて締め上げられる。怖いぞ、しかも私以外には認知出来ないのだ。なので、親に我が儘を言って鏡を取り外してもらって……ちょうど月夜(つきよ)さんの座っていらっしゃる後ろあたりかな、そこにしまいこんでもらった」
「ぎゃ~!? ウソマジ!? ちょちょシンタロー場所変わってー!」
「うるせぇ! 耳元でがなんな!」
「大丈夫ですよ、奥の奥の方ですから」
……正直に言うと、どこにしまったかはあまり覚えてないのだが……そこまでは言わないでおいた。
「――これで、私の話は終わりだ。……ああ、あともうひとつこの鏡には不思議なことがある。ジュリアや不知火(しらぬい)、藤野など、よくうちに来られる方はよくわかっていると思うのだが……」
チラリとそちらをみる。ジュリアも藤野(ふじの)もあの不知火さえも顔を青くして、絶句している。
「その鏡はな、なぜだかはわからないんだが、祭の時期や夏が近付いてくる時期、季節の変わり目や新月の日にな、どこの屋内の壁にふっとあらわれるんだ……私が出すわけがないし、親は海外移住している。わざわざそんな日だけに出す律儀な人間なんて、うちにはいない……まあ、もし見かけたら、そっとしておくのがお奨めするぞ、私のようなめに会いたくなければ……」
どこかから、太鼓の音が聞こえた。
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