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彼女は男の目の前にしゃがみその顔を覗き込む。
「どうして殺すのか?って・・」
自分の心の中を覗き見たように彼女は言葉を紡ぐ。
「今こうしてお前を痛めつけているのを見ている奴らがいるからだよ」
こうしておけば、少しくらいはこういう輩が減るだろう。
要するに見せしめのためにこの男は命を落とすのだ。
恨みもなければ見知らぬ食われた人間などどうでも良い、ただ取り締まるのが彼女の仕事であり、その仕事を減らすための材料だ。
「命乞いなんかするなよ、どうせ死ぬんだから」
此処まで傷だらけになった体ではいくら物の怪でも到底助かりはしないだろう。それでも死ぬのは恐ろしかった。
自分が食った人間も恐らく今の自分と同じ思いを抱えて消えていったことだろう。どうしようもなく後悔する。
興味本位で人を食らってみたことを。母にきつく人を食べてはいけないと言われていたというのに。
「じゃ、そろそろ終わるか。ほかにも仕事残ってるし」
視界がずれて彼女の顔が見えなくなる。
ハイヒールの靴が血だまりに立つ、その足が見えたような。
男の思考が途切れたそのとき、彼女は深くため息を吐いた。
足元に転がる塊を踏み潰した時には周りにあった気配が怯えたように遠のいていく。『化物だ、鬼だ』と騒ぐ声と一緒に。
「疲れた」
彼女が立ち去ったその後ろには何もない。
血だまりも、ツギハギにちぎれた体も何も残りはしない。
人の世に人ならざるものとして生まれ、正体を隠し人として生きる。けれど本質が違うために起こる間違い。人が規則となりつつあるこの世に彼らが生きるのは難しく、けれど生きる場所はここにしかない。
消えゆく時は風が吹き抜けるように静かに消える。
人は誰も知らないのだ、不可思議な事件を起こしたものの末路も、それを裁くものの存在も。
彼女がひとり夜道を歩いていることも知らず。
人の生きる世の裏など人間は知る必要などない。
知る必要は無いはずだった。
「あれ・・・なんだ・・?」
ある男が、見るまでは。
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