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「まるで、波打ち際に作った砂の城なんだ」
一日にたった一回起こる波。それだけでも、お前と築いた思い出という城は徐々に徐々に浸食され、次第に縮小し、原型を保たなくなる。
「俺はもう、きっと城の全貌を覚えてはいない」
俺が覚えているのは、欠片のように残る城の断片だ。かつてそこに大きな城があったことは覚えている。だが、その詳細はもう、わからないんだ。そのすべてを思い出すことはできないんだ。時間という波に崩され、そして浸食された思い出は全貌の縁こそわかるが、その中身は苦しいほど曖昧で、悲しいほど空っぽなんだ。
「楽しかった。嬉しかった。幸せだった。その感情は覚えていても、いったい、何がそうだったのかが、もう……わからない」
お前の顔さえ、もう、ほとんど思い出せない。いつからか、お前の存在という枠組みだけを残して、俺から崩れ去ってしまっているんだ。そのことに気付いたのは、きっとそうなってしまってから遥かに時間が経過してしまった後で、遡ることなんて、できようもなかった。
時間が非情なのは、時間が過ぎることしかできないからなんだ。
前向きだと言えば、前向きなんだろう。そして、それは、人間にとっては良いことだってされている。前を向かないと、生きていいけないからだ。どうしようもないことは、どうしようもないと自分の中で決着をつけなければいけないからだ。
それって、俺は、悲しいことだと思う。
一見して、前向きって概念は素晴らしいんだろう。
だが、前向きは、突き詰めれば、諦めることなんだ。
「辞めて、諦めて、忘れ去る。前向きって、本来はどこまでも後ろ向きなんだ」
前を向くから、後ろを見捨てる。これが、前向きの本質なんだ。
「だから、俺は後ろ向きになった。誰よりも後ろ向きになった」
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