第1章

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 目の前の問題から目をそむけ続け、何も知らない、何の力もない大勢の一般人が死にゆくのを指を咥えて見ている――そうすれば、少なくとも自分の命が脅かされる事はないだろう。  しかし――そうして生き残ったところで、一体何が残る?  簡単だ。  後悔。  もしかしたら、救えたかもしれない命を、たったひとつの恐怖に屈して助けられなかったという、堪え難い後悔だけだ。  昨夜だってそうだ。自分がもっと早くに青年の異変に気づいていれば? 突然降りかかった脅威に対しておののかず、もっと声を張り上げて同僚達に呼びかけていれば?  ――たとえ、全員とはいかなくても、救えた命があったのではないか?  あんな思いは、もう二度としたくなかった。  だから、立ち向かう。  極小の可能性にすがりついてでも、事件を解決する事ができる手段を探す。 「ああ、そうだ。笠峰」武田は振り返らずに声をあげる。「確かにな、俺はどう足掻こうが、結局、ただの刑事である事には変わりはねえ。超人なんかじゃない、還暦間近の貧弱な身体しかねえ。それでもな――」  彼は、笠峰には見えないところで、口許に攻撃的な笑みを浮かべた。 「俺は無駄死にする気なんて最初から持ち合わせてねえよ」  そうだ。死ぬ気なんか最初から持ち合わせてない。自分一人しかいなくても、必ずあの青年を捕まえてここに戻ってきてやろう。明確な『結果』で示してやれば、上層部だって何も言えなくなるハズだ。  おそらく、これは自分の人生、最大の仕事になる。この事件の解決を退職金代わりにしてやろうと武田は胸の内で決意した。 「さて……と……」  ――まずはあのクソ野郎(警視総監)を殴り飛ばして、情報を引き出す事から始めるか。      3(二月七日――午前六時二五分~午前六時五三分)  都内のとあるマンション。そこの階段を、久郷は靴音を鳴らしながら登っていた。昨日の朝方などは、冬空から薄い太陽光が降り注いでいたが、今はそんな様子は感じられない。空は鉛色に染まり、いつ雨が降ってきてもおかしくない状態だ。時期を考えると、もしかしたら今年初めての雪が降るかもしれない。相変わらず、口からは白い息が洩れている。  久郷は一二階の踊り場で立ち止まると、鉄製の重い扉を右手の義手で開け放った。義手を装着してから、まだ数時間しか経っていなかったが、すでに扱いには慣れてきている。
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