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人と人の間には、『暗黙の了解』という深淵が横たわっている。
特に、恋人たちの間には。
決して触れてはいけないもの。
二人の繋がりを断ち切ってしまう刃。
私とリクの間にも、付き合い始めた頃から存在している。
私たちにとって、『未来の話』がそれだった。
『未来』といっても、今日の夕ご飯の話や、明後日のデートの行き先の話ではない。
もっと、ずっと先。
五年後、十年後の話だ。
例えば、私たちはそこらの恋人たちのするような約束はしない。
ずっと一緒だとか、いつか結婚しようだとか、そういったことは決して口にしない。
もしかしたら、私もリクも、未来を恐れているのかもしれない。
願った未来、描いた未来が、来なかったら?
隣にいるのが全然違う人で、私とリクは友だちですらなかったら?
ばかばかしい、子供じみた約束は呪縛になってしまう。
それでも、指を絡めて歩くとき、リクのざらざらした熱い舌が私の唇を舐めるとき。
いつまでも、このままの二人でいられたらと願ってしまう。
リクが、私の未来から消えることを恐れてしまう。
そんなとき私は、リクの胸に体を埋めてそっと言葉を押し殺す。
二人の呼吸だけが静かな空間に聞こえていた。
「カオリ」
掠れた、低い声で私を呼ぶ。
なに?と言うかわりに少し目を上げて首を傾げる。
「泣いてる」
カサついた、大きな手が頬を撫でた。
私たちは、『未来の話』をしない。
誰よりも未来を望んでいても。
言葉にしたら、夢のまま終わってしまいそうだから。
「リク」
今度は私が彼を呼ぶ。
「リクも、泣いてる」
そっと触れて、雫をすくった。
「帰ろうか」
どちらからともなく立ち上がって手を繋ぐ。
暖かな五月の夕暮れが、未来の前にたゆたっている。
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