一人

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 夏の夜に怪奇な体験が多いのは、夏のほうが冬より夜に出歩く回数が増えるからだと言われている。  いかに夜明かりが増え、人々が眠らなくなっても、夜は未だ闇の入り口に代わりはない。  夜の帳が覆うころ、高級マンション、いわゆる億ションの入り口に派手な外車が止まる。特有のかん高いエンジン音は、一般人では聞きなれないものだろうことがよく分かる。  降りてきたのは初老とは思えないほど鋭気に満ちた男性。頭には弱冠の白髪は混じるものの、日に焼けた顔と鍛えられた体には、どこにも衰えを感じさせることはない。  車は入り口で止めたままにその男性、大池善三郎はエントランスへ進み、 奥にある数機並んだエレベーターの前に立つ。  「これで管理費が数万とは高いな」  複数台あるにもかかわらず、到着の遅いエレベーターに、彼は苛立ちを感じていた。  善三郎の目的、それは八階の自分名義の部屋だ。  よくある話、善三郎ほど成功した男ほど、自宅とは別の部屋に女性を囲う。  例外なくその部屋には、女性が暮らしていた。  茅野美佐(かやのみさ)最近ドラマでも見かけるようになった女優だ。  部屋では、身支度を終え、洗面所で吐いていた。 「・・・あのぎらついた顔を思い出すと・・・うっ!!」  彼女は未だに、善三郎を受け入れた訳ではないのだろう、いつも善三郎が来るときにはこの儀式が始まる。  それも、到着の直前には収まり、部屋に善三郎を迎え入れる。  しかし今日は、少し勝手が違う。  「くっ!!」  彼女を映し出していた鏡に中心から放射状にヒビが入った。  ピンポーンと部屋の入り口のチャイムが鳴り、善三郎の到着を知らせる。  彼女は長い髪を指で後ろに流し、嘔吐で乱れた身だしなみを整え、  荷物を持った。 そのまま部屋の入り口へ向かう。  「や、迎えに来たよ」  変わらない善三郎がそこにいた。冷静を装いながら彼女は言う。 「準備は出来てます、出かけましょうか」 「美佐、今日もきれいだね、旅も楽しくなりそうだ」  二人はそのままエレベーターへ向かった。
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