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某マンション前
「……風情も何も無いわね」
伊織は苛立たしげに、されどどこか達観したように呟いた。
いや、彼女からすれば、それはただの呆れの色を濃く見せただけに過ぎない。しかし、伊織の冷やかな瞳と空気が、周囲にあらぬ誤解を招くのはよくある事だった。
その証拠に、伊織のスカートを摘まむ小さな手が、ぴくりと震える。
だが、伊織はその小さな影に目を向ける事もない。彼女の視線は、眼前に広がる巨大な壁へと注がれている。
「メリーさんが住んでるのが、ここって……どうなの?」
僅かに日も沈みかける時間帯。
都市伝説的に言えば、口裂け女が出没するような時間帯であろうか。
人の勢いも増す中、伊織はどう見積もっても自分の父親の経済力では住めないマンションを、呆然と見つめる。
「ここ……あんたの家なんだよね」
「う、うん……そうなんだよ……」
都市伝説メリーさん。
夜な夜な迷惑な時間帯に電話を掛け、尚且つ家に上がり込むという傍迷惑な都市伝説。
都市伝説の定番とばかりに、最期は具体的な何かをしたという結末は無い。少なくとも、伊織は聞いたことは無かった。
だが、現実はどうだろうか。
振り向けば何か命の危機があった訳でもなく、涙ながらに家へと共に歩む事になろうとは。
交番へと向かう先で、あれほど興味を示していた藍子は用があると姿を消してしまった。
それはまだしも、交番の巡査と顔見知りだった自称メリーさんを送る役までさせられるとは――――
――……で、その家とやらが、これ……ね。
このマンションの前に着くまでは、警察の職務怠慢に怒りを燃やしていた伊織だったが、もうそんな感情はとうに消え失せていた。
あるのは自嘲。そして倦怠。本日何度目かの溜息を吐き、ようやく腰辺りの少女を見つめる伊織。
視線の先にいるのは、腰まで伸びた金髪と、幼さと儚さが背中合わせとなった少女。
睫毛は音が鳴ると言われても信じるほど長く、成程、確かに人形と比喩されても可笑しくはない。
「……ほら、あんたの家なんだったら帰りな。後、私の番号消しときなよ」
が、それがどうだと言うのか。
伊織はそういう都市伝説の類いを、全く信じてはいない。自分の電話番号を知っていた事は気味悪いが、それも消去してもらえば済む事だろう。
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