三章 南陽黄巾軍

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 荊州北部の、洛陽に程近い場所に位置する郡、南陽。  この地に、最近各地で反乱を起こしている者達が駐屯していた。  その者達が皆、頭に黄色い頭巾を巻き付けていることから、世間では、黄巾党、黄巾賊などと呼ばれている。  元は大平道という道教に属していた信者たちだったが、教祖の張角が後漢王朝に対して挙兵したことにより、それに呼応して各地で反乱が誘発した。  南陽郡で挙兵した黄巾賊も、宛城を攻めこれを落とし、南陽太守を殺し、そこを拠点に各地の仲間を集めていた。  大将の名は張曼成。官軍が大平道大方という黄巾軍の総司令官の馬元義を捕らえ処刑した折に、南陽の民を集め挙兵した。  しかし、後任の太守である秦頡により、呆気なく攻め殺される。  これで南陽が片付くかと思いきや、黄巾軍は新たに趙弘を指揮官に立て勢いを盛り返し、宛城へと立て篭もった。  秦頡は、豫州の黄巾軍を平定し終えた朱儁へと援軍を求め、朱儁もまた、建業太守として近隣の黄巾軍を平定していた孫堅へと援軍を求めていた。  これに応えた孫堅は、建業を速やかに平定し、朱儁の元へと馳せ参じた。  無事合流を終えた二軍はすぐ、南陽へと進軍をした。  南陽に辿り着いた二軍と秦頡による混合軍は、宛城の包囲を始めた。
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