ある青少年の追想

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「こっちも、食べて食べて」  ばあさんはありとあらゆる料理をすすめては、俺がお世辞抜きの「おいしい」と言うたび嬉しそうに笑んだ。何が何だかわからないが、ばあさんが満足しているようだからいいと思った。 「ばあさん。旅の人が困ってるじゃないか」  じいさんが呆れたように言う。助け舟のように思えた。 「あら、やだ。ごめんなさいね、えっと……」 「……時任(ときとう)です」  名前を名乗らない理由がなかったので、苗字を答えた。 「あら、時任さん。ごめんなさいね。私ったらうれしくってつい」 「……嬉しい? いつも作られているはずでは……?」 「それはもちろん、そうなんだけど」  ばあさんは照れ臭そうに答える。 「やっぱり、いつでも嬉しいものなの。自分の作ったものがおいしいって言ってもらえると、やりがいがあるってものよね」  そんな、ものだろうか。普段の繰り返しになっていることが、そんな些細なことで幸せを、喜びを、何千回繰り返しても感じられるっていうのか。わけがわからない。  つまりそれは、当たり前が当たり前じゃないってことだろう?
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