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邑久と椎名は僕の懸念をきっちり見越していたようだ。二人の配慮に僕も佐東くんもこのあとも平穏に日常を過ごせた。
が、そうそう上手く事は運ばないものだ。
明くる日、次の授業に向けて教室を移動中、僕は遭遇してしまった。
「よぉ」
「……どうも」
ここは、移動中だけど士官候補コースの校舎だよね? 未だに。どうして、この人たちがいるんだろうな。隣にいた邑久の眉が片方跳ねる。椎名は無表情。椎名の無表情は冷淡に見えて好きじゃないんだけどなぁ。
「お前もまさか士官候補とはなぁ」
「……。僕も、先輩方が士官候補だと思いませんでした。作業着でしたし……今日も」
僕はにこっと微かに笑んだ。愛想笑いも疲れて好きじゃないよ。僕の笑みをどう取ったか相手もにやにやと笑い返して来た。
僕の前、いやらしい顔面を晒していたのは、いつかの、羽柴先輩に暴行を加えていた加害者集団だった。
「んぁ、コレかぁ? コレはなぁ、問題が起きて逃げたときにたとえ目撃されても普通科だと思われて逃げ切れるじゃねーか。良い考えだろー?」
士官候補生は頭使わねぇとなぁ、と下品な笑い方をして吹聴している。僕は同調するように顔色を一つも変えなかったけれど心底「捕まったらいっしょじゃん、莫迦じゃないの」って思っていた。しかも士官候補コースで特定の人物がずーっと作業着着てたら目立つしね。僕が黙視していると「つーか、お前だってこの前は作業着だったじゃねぇか」などと言われた。僕は間髪入れず応答した。
「……僕は一学期まで普通科だったもので」
こんな頭の悪い策の仲間にされては堪らない。冗談だって死にたくなる。僕の平身低頭振りがお好きなのか僕が過去に普通科だったことに優越を感じたのか知らないがとても楽しそうに。
「おう、そうか。そりゃあ良かったなぁ。お前もこれで晴れて俺たちの後輩だな」
「ええ」
ははは、一遍死ねば良いのに。父さんが死んでから人の死を願うなんてとんでもないことだと思っていたけども、考えずにいられないくらい僕はこの人たちが嫌いなようだ。内心、さっさと行ってくれないかな僕たち授業に遅れるんだけど、と腹を立てていた。おくびにも出しませんが何か。僕の不機嫌を察知したのか出しゃばることの無い椎名が口を挟んだ。いつもこう言った場面で進言するのは邑久の役割だった。けれどもその邑久はこれ以上無いくらい嫌悪に染まって口を一文字に引き結んでいた。
「申し訳在りません先輩方。僕たち次の授業がございますので」
椎名の莫迦丁寧な申し入れを咎めることも無く「おお、そうだな」と思ったより素直に連中は聞き入れた。授業大事なところは士官候補と言うことか。成程、この前の羽柴先輩の件でも僕の説得に渋りつつも応じた訳だ。
「じゃあな、しっかりやれよ」
先輩風を吹かせながら僕の肩を叩いて連中は去って行く。僕は一応会釈した。椎名も、僕たちの陰に隠れていた佐東くんも。邑久だけが睨め付けていた。
連中の一人がそんな邑久に「ひめかちゃーん、今日も可愛いねぇ」と野次を飛ばして来た。邑久はますます剣呑とした空気を漂わせたが口を開くことはしなかった。それで良い。僕は連中が振り向いても目に留まらないよう体で隠して邑久の腕に触れた。邑久の表情が和らぐ。連中の姿が見えなくなって邑久が。
「────何っなのよアイツらぁぁああああっ」
叫んだ。どうどう、と椎名が宥める。佐東くんは緊張していたのか息を詰めていたらしく緩急付けて深呼吸していた。
「香助」
「何」
僕も疲労感から溜め息を吐いていると比較的平静を保つ椎名が僕を呼んだ。僕も応えた。
「知り合いなのか、さっきの」
「───。知り合いではないけど、一学期ちょっと在ってね。まさか士官候補だとはね」
僕の説明に椎名は得心したと一つ首を縦に振り「また面倒なヤツらに覚えられているな」と言う。僕も「でしょう。嫌になるよ」と空笑いを浮かべた。時計に目を落とせば始業時間が迫っている。無駄にしてしまった感満載で、僕は「急ごう」と声を掛けた。みんなは同意して歩き始め、歩みを速めた。
「ねぇ、香助。アイツらとは関わっちゃ駄目よ」
連中に絡まれた日の昼休み、邑久が購買の弁当を突付きながら僕に忠告した。僕はパンを齧りながら「嫌だって関わりたくないよ」と反論した。ふ、と僕はあることに気付く。
「そう言えば邑久とアイツら、面識が在るの?」
邑久の態度や連中の物言いに昨日が初とは考え難い。同じ士官候補コースの腐っても先輩後輩で、邑久は成績上位者だし向こうは向こうで悪目立ちしていそうだから顔は知っていてもおかしくは無いと思うけど……どうも違う気がするんだよね。邑久の嫌悪感が最早憎悪の域と言うか。邑久は容色を見る見る内に変容させて歯軋りした。
邑久の気色ばんで変わり果てる有り様に佐東くんが本心で怯えているので、僕は椎名に目で合図を送った。僕より椎名のほうが断然邑久の操縦が上手い。椎名は一つ息を吐いて「邑久、落ち着け」と邑久の肩を叩いた。邑久は佐東くんの戦慄いている様に正気に戻ったらしく「ごめん」とばつが悪そうに謝っては口籠もる。
「……で、そこまで嫌う程の何かが在る訳ね」
僕はパンを銜え邑久を見遣る。邑久は一つ出汁巻き卵を口内に放り咀嚼している。これを機に話題は途絶え僕らは黙々と粛々と昼食を進める。しばし間を空けて邑久が開口した。
「アイツらの内、馴れ馴れしいのがいたでしょ?」
「邑久に、“可愛い”って言ったヤツ?」
「そう、それそれ。そいつがさー……一学期のときちょっと、しつこくて」
「ああ、告られた?」
「断ったのよ? あんなのでも先輩だし? 丁寧に、わかり易く」
「それがマズかったんじゃないの?」
丁寧とか、鳥頭の脳内変換じゃ「自分に気が有るけど遠慮してる」もしくは「照れてる」みたいになると思うんだけど。私見を述べれば美少女顔をだだ崩れさせて頭を抱えている。「そうよねー……あー……」唸る邑久には悪いけど、顛末が見えない。椎名に視線で催促すれば一度咳払いをした。
「告られた。断った。付き纏われた。ここまではよく在る話だろう」
「そうだね」
「で、だ。当初例に洩れず人身御供を作ろうとした」
「“人身御供”?」
「『壁』だよ『壁』。彼氏役さ」
あー。僕は拳で手のひらを打った。彼氏ねぇ。でも。
「が、誰も彼も逃げるんだよな」
「だろうね」
あそこまで厄介な連中相手に名乗り出ようとする兵はいないだろう。普通なら成績上位者、美人の邑久の彼氏なんてハリボテ、偽りだって引く手数多だろうが、まぁねぇ……。
「香助が一学期からいたら即行任命だったんだが」
「嫌だよ。椎名がやりなよ。その口振りだと、一番に逃げたんでしょ」
「当たり前だろう。何で僕が」
言い切ったっ。コイツ言い切ったよ……! 僕は心の底から一学期は普通科で良かったと思った。経緯はどうあれ。
「まぁそうやって手を拱いている内にだんだんエスカレートして来て。とうとう風紀のお世話だ」
「風紀?」
僕が聞き返すのと同時に邑久が「あぁぁあああっ……」とか奇声を上げてのた打っている。だーかーらっ、佐東くんが泣きそうだからやめてって。涙目だよ佐東くんが。
「ああ。風紀委員の斎藤和刃って人にね。二年在籍で次期風紀委員長最有力候補って言われているんだけど……知らないか」
「うん、知らない」
次期風紀委員長ねぇ。第一風紀自体僕にとっては「ああ、言われてみれば、いたような?」程度の認識だ。莫迦正直に白状すると椎名も幾分か立ち直った邑久も「うわぁ」と声にせず全身で表現して引いていた。佐東くんでさえ、引いてはいなかったが遠い目をしていた。
「……。香助はさー……もうちょっと周囲に気を遣ったほうが良いわよ」
呆れ気味の邑久に「そうだね」と共感する。確かに僕は無関心が過ぎる気がする。何て言うか。
「気を遣うって言うのは正しくないよな。香助は、自身には注意を払ってないって言うか」
椎名の挙げる欠点が的を射ていて僕は返す言葉が見付からない。そうなんだよな。何か。
「自分より注意を払う人間に気を取られ過ぎていたって言うか」
危なっかしいのが一人いて、味方も作るけど敵も作るから僕はと言えばそっち優先だったしなぁ。形振り構わず動くから、都香は。
「香助って、基本敵を作らないけど、だからって別に敵を作ることに関して特に忌避してるって訳でも無いのよね。出来たら仕方ない、排除しよう、みたいなの」
邑久がつまらなそうに頬杖を突いて僕の分析をするが僕は「そう? 僕事なかれ主義だけどなぁ」と笑って置いた。嘘じゃない。面倒事は嫌いだ。まぁでも。
「邪魔するなら、退けるだけだよね」
僕は、面倒事は嫌いだ。多分僕の性格のせいだろう。細かいからなぁ、僕。あらゆる可能性は潰さないと気が済まない。一目で穴が開いているようなプランも、絶対塞ぐための受け皿を用意している。てか、わざと穴は開けてたりもする。そこにしか穴が無ければそこに行くだろう? 砂だって水だって人だって。僕は手間を惜しまないから。
ただし、自分までこの労力は回らないんだよね。気にしないものなぁ。自分が火の粉を被る分には。僕は己を省みていた。
「……ねぇ」
僕が物思いに沈んでいると邑久が話し掛けて来る。僕は空中に視点を浮かせていたので邑久へ戻した。僕を見詰めていた邑久の眼差しは結構真剣だった。僕が耳を傾けていると邑久は常の軽い雰囲気を引っ込めたまま喋り出した。
「アイツら、かなりウザいのよ。私のことも実は尾を引いているの。今、標的は逸れてるから良いんだけど」
尾を引いている、てことは要するに現在も継続中ってことだ。標的は逸れているってどう言うことだろうか。今は噂の風紀委員、斎藤さんだっけ? がなっているとか? 邑久のくれる情報を整理しつつ余計な発言はしないで聞き続けた。
「マジな話ね。私もまだ手を焼いてるの。このままで良いとも思ってないんだけど……私じゃあ、現今如何とも出来ないし。関わるなとも口酸っぱく言い付けられているし。……香助も最悪、何かで拗れる前に相談したほうが良いよ。風紀、……でも良いんだけど、」
滔々と僕に語る邑久の口調が淀んだ。僕は首を傾げた。
「斎藤はねぇ……香助は、ちょーっと苦手な人種かもね」
暑苦しいって言うか、熱血って言うか、良いヤツなんだけど。邑久の微苦笑に、うわー、間違いない、僕は避けたいタイプだ。そうして、僕が長くない付き合い上で掌握している邑久も得意じゃないだろう。椎名は……上手く流せそう、かな。椎名って飄々としてるんだよな。少し、倉中に似ているかも。
「邑久も苦手なんだ」
「うーん。苦手って言うか……」
はきはき話す邑久っぽく無く停滞していた。言い難い。邑久には事情が在るようだ。何か在るのか。僕も都香のことを言っていない訳だし邑久にだっていろいろ在るだろう。僕は追及しなかった。
「良いけど。じゃあ誰に言えば良いのさ」
「そうねぇ……ああ、鈴木さんとか良いかもね」
「鈴木? 誰」
僕が尋ねると今度は佐東くんが見兼ねて教えてくれた。
「邑久さんが言っているの、多分鈴木先輩のことだよ。鈴木先輩、鈴木千尋先輩はね士官候補コースの二年で、現在の生徒会副会長だよ。来期の生徒会では生徒会長になるんじゃないかって」
だよね? 佐東くんが伺えばこくんと邑久が肯定した。
「へぇ」
風紀の次は生徒会か。僕が生返事をしていると椎名が「鈴木先輩は覚えて置いたほうが良い」と告げられた。え、と僕が目線を移すと椎名は眼鏡を中指で押し上げ理由を述べた。
「香助、生徒会に選ばれる大半は大抵士官候補の成績上位者なんだ」
椎名曰く生徒会にしろ上に立つ人間と言うのは方々で発言権を持つ人物でなくてはならない。が、軍事学校であるこの学校で昔の学校のように行事が在る訳でも無く仕事と言えば学校の運営だそうだ。
でもって学校の運営って主にデスクワークの雑用だ。戦績重視の普通科、技術重視の整備士専科には至って無理。こうなると。
「成程ね。座業の士官候補コース、しかも余裕が在る上位者、と」
あー、そうか。僕は上位者ですね。曲がりなりにも。鈴木、鈴木千尋。頭の中で名前を復唱していた僕。その間も椎名は話は続いていた。
「風紀も、風紀委員は普通科、整備士専科でなるヤツもいるんだが、委員長は士官候補が必至なんだと」
風紀に入るぐらいだから、腕っ節は在るんだよ、と。詰まるところ、斎藤とやらは頭も良い武芸者と言うことだ。ふぅん。僕は斎藤和刃の名前も脳裏に刻んで置いた。
とは言え、僕としては覚えて置こう、程度だった。この当時の僕は。
まさか今後繋がりが出来るとか、僕は露とも思っていなかったんだ。
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