.ニ / 告別。

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事なかれ万歳の国として最低限ウチにも国としての矜持が在ると示した結果が、中途半端な軍国化なのだろう。  協力は、する。そのために国民にも徹底して戦争知識を詰め込むけれど、だからと言って自ら戦争はしない。  さて。そう巧く事が運んでいるだろうかと問えば、答えは否。戦地に赴いた人間が実際死んでいる。父さんも含めて。耳触り良く“非戦地地帯への派遣”とは言うが、国同士の戦闘はおろか暴動内乱さえ起きている場所で非戦地なぞ在り得るか。戦場は不確定要素しかないと、みんなわかっていることだ。詰まるところ、戦闘機の訓練がそのまま役に立つときが来るかもしれない。  僕が人を殺す日が来るかもしれない。  僕が人に殺される日が来るかもしれない。  父さんを、僕と母さんから消した方法で。 「……つらいんなら、しばらく休んでも良いんだぞ。ここにいるからって、明日からすぐに出て来いなんて言うヤツはいないだろうからな」  急に授業に戻ることは無い。久保田教官の助言に首を振る。縦にではなく、横に。  一人部屋ではないけど、何もしないでいるのは無理だ。クラスメートだが同室でも在る倉中は空気を読むけれど、そこに甘えるのは居た堪れない。普通科、整備士専科等の兵士コースの生徒は余らない限り二人部屋だった。士官候補コースは一人部屋だが。……“士官候補”か。  士官、それも上層部幹部候補には政治家と懇意になれたり政治家そのものになる者も多い。政界に食い込みたい人間か元から親だの家だのの関係でコネが必要な人間は何としても入りたいだろうな。  この国の現況を作っているのは政治家だ。昔の大戦と違い軍部と政局は別に動かされている。政治家が軍部の言い成りになることは無いがこの逆も無い。でも。 「────先生、」  総じて教官を呼ぶときは名前のあとに『教官』と付けるのが通常だった。久保田教官なら『久保田教官』だ。が、僕たちは『先生』と呼んでいた。他の教官は『教官』であるのに。先生がゆるしているのも在るけども多分、各々敬意や親近感を持っているからだろう。もっと砕けている者は“くぼっちゃん”になる訳だが。  僕の声に呼び掛けに教官が「どうした?」尋ね返して来た。僕は考え付いてしまった。  政治家は、軍部の言い成りになることは無い。だけれども影響力は在った。  現代の政治家は戦況と戦術に無知では無いが軍部を蔑ろには絶対しない。餅は餅屋だから。
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