魁(さきがけ)の花

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「ええ、遠いのです。九州の西の端です。ここで事件が起こった。【フェートン号事件】と言うのです。文化5年8月15日(1808年10月4日)、イギリス海軍のフェートン号が、オランダの国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ入港したのです」 「まあっ、偽りの旗で」 「これをオランダ船と誤認した出島のオランダ商館では、商館員ホウゼンルマンとシキンムルの2名を小舟で派遣し、慣例に従って長崎奉行所のオランダ通詞らと共に出迎えの船に乗り込もうとした。ところが、イギリス武装船は突如、態度を変え、オランダ商館員2名だけを強引に連れ去った!」 「それは、人さらいではありませぬか!」 「そうです! 人さらいです。それと同時に船はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げた。そうして非礼にも、武装船で長崎港内を探索した」 「まあっ! 何て勝手な!」 「そうです! 無礼にも程がある! 長崎奉行所ではフェートン号に対し、オランダ商館員を解放するよう書状で要求したのです。しかし、それに応じぬばかりか、彼等はオランダ商館員を人質として、水と食料を要求したのです!」 「まあっ、なんて卑怯な!」 「オランダ商館長ヘンドリック・ズーフは長崎奉行所内に避難し、商館員の生還を願い出た。長崎奉行の松平康英は、商館員の生還を約束する一方で、湾内警備を担当する鍋島藩・福岡藩の両藩にイギリス側の襲撃に備える事、またフェートン号を抑留、又は焼き討ちにする準備を命じた」 「船を燃やしてしまおうと?」 「そうです。船を燃やして逃げた者を捕らえようと考えたのです。ところが長崎警衛当番の鍋島藩が守備兵を無断で減らしており、長崎には100人ほどしか在番していなかった。やむなく長崎奉行は、急ぎ、薩摩藩、熊本藩、久留米藩、大村藩など九州諸藩に応援の出兵を求めた」 「そんなに沢山の応援を」 「そうです。沢山の応援が必要な時でした。翌16日、フェートン号の艦長は人質の1人ホウゼンルマン商館員を釈放して、薪や水や食料を要求し、供給がない場合は港内の和船を焼き払うと脅迫してきた。人質を取られ、充分な兵力もない状況下にあって、長崎奉行はやむなく要求を受け入れることとした」 「まあっ! ……でも仕方がありませんわね。オランダ人の命には代えられませんもの」
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