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「ごめんっ!」
冬晴れの空の下。
剣術指南道場の門前に若い侍が立った。
道場は城下の外れを流れる川べりに在った。
「たのもーっ!」
若侍は、更に大声を張り上げた。
だが、返事がない。
古びた表札には《東藤自然流》と書かれている。
「ごめんっ!」
若侍は、しびれを切らして門をくぐり、稽古場の 前に歩み寄る。
「誰かっ! 誰か居られぬか!」
やはり、返事がない。
彼は、いよいよ焦れて引き戸を開けた。
稽古場へ足を踏み入れて様子を窺う。
だが、道場内は深閑として人影が無い。
「誰も居らぬのか……」
彼は拍子抜けがしたように眉を下げ思案にくれた。
そこへ背後から声があった。
「ご用で、ございますか?」
「えっ?」
若侍が振り向くと、長い黒髪を後ろで一つに束ね た娘が立っている。
娘は涼やかな瞳で、まっすぐに若侍を視た。
「あっ! いや、その……東藤先生にお会いしたいのです。先生は、お出掛けですか?」
若侍は、つかの間、娘の美しさに見惚れ、それを気取られまいと慌てた。
「父は夕刻に戻りますが、どちら様でございましょう」
そう話す娘の口許には薄く紅がひかれている。
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