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「あっ! これは、ご無礼を!」
若侍は編笠を外して告げた。
「私は鈴森新三郎と申します」
「まあっ、新三郎さまですって!」
娘は持っていた桶を置いて、前襟を整えた。
「えっ? はい。鈴森新三郎です」
「立派に、お成りになって……」
「はっ?」
「私です。紫織です。幼い頃は新三郎さまと一緒に遊んだではありませんか。お懐かしゅう」
紫織は嬉しそうに微笑んだ。
「しおり……はて? そうだったかな? 幼い頃とは、いつの事だろうか?」
新三郎は額に手をやり、汗を拭った。
「まあっ、憎らしい。貴方が七つ、私が六つの時ですわ。私の為に、たくさんの独楽(こま)を回してくれたではありませんか」
紫織は、そう言いながら帯に挟んだ手拭いを抜き、新三郎に差し出した。
「はっ、これは、かたじけない」
新三郎は手拭いを受け取り顔全体を拭いた。
「あの頃は、私の方が身体が大きかったから貴方は思い違いをして、私を、ねえさまなどと……うふ ふ……そんな新三郎さまが、かたじけないなどと…… うふふふ」
紫織は両の手で口許を隠した。
「ははっ……そうですか。そんなことが」
新三郎は紫織の笑顔につられて破顔した。
「しかし、しおりどのは、そんな昔の事を、よく覚えていましたね。私は、すっかり忘れて」
「さあ、奥へどうぞ」
紫織は先に立って歩き出した。
「はい。では……」
新三郎は草鞋を脱ぎ、袴の埃を払って板の間へ上がった。
庭に植わった梅の木が枝を伸ばし、薄桃色のはなびらが風に揺れている。
「門弟の稽古は、お休みです。父から聞いています。誰かが訪ねて来るかも知れない。もし来客があったなら、部屋で持てなすようにと。新三郎さまのことだったのですね」
「そうですか。先生は、どちらへ?」
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