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「新三郎さまは私に隠さねばならないような事をしたのですか?」
「えっ? いや、隠すとか隠さぬとか」
「世間を憚るような科を犯す方ではないと私は知っています。貴方は弘道館からの帰り道、銀杏坂で書き物を開くような方です」
「ええっ? そんな事まで!」
「本当を言えば、私は城下で何度か貴方をお見かけしているのです」
「そうでしたか。そんな事とは露知らず……いや、迂闊でした」
「門弟達の話によれば、藩内が慌ただしいのは、斉昭様が蟄居(ちっきょ)させられた為に、その処遇を巡って、藩内の家臣同士で論争しているからだと聞きました。その事と、新三郎さまの旅とは繋がりがあるのですか?」
「えっ? 繋がり? それは……ええ、まあ、有ると言えば有ります」
「藩内の家臣が争うとは、どういう事なのでしょう? 女の私にも分かるように教えていただけませんか?」
紫織は身体の向きを変えて小首を傾げた。
「はあ。しかし……東藤先生はなんと?」
「父は、余計な事を訊くな、黙っておれと、話をしてくれませんの」
「ふーむ。東藤先生が、そのように言われるのなら、私が出過ぎた真似をする訳には」
新三郎は茶を口に運んだ。
「いいえ! 貴方には貸しがあるのです」
「ぷはっ! な、何ですと?」
新三郎は茶を吹き溢してしまった。
「まあ、しようのない方」
紫織は布巾で新三郎の前襟や袖を拭いた。
「いや、だって、紫織どのが藪から棒な事を言われたから」
「ええ、そうね。昔の事ですわ。あなたは庭の梅の木によじ登って枝を折っておしまいになった。その時に何とおっしゃいましたか?」
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