甲斐の虎と越後の龍

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押し入れから蛇のように這い出る濃姫を見て、信忠は眼を丸くしながら絶句する。だが、そんな視線など気にもせずに松姫に寄って勢いよく抱きついた。 「うふふふっ、愛らしい子よのうー」 「これは、奥方様。今日もお元気そうで何よりで御座いますの」 これでもかという程に松姫を愛でる女性の名は濃姫。彼女は信長の正室であり、苦難多かった織田家を20年間に渡り良き伴侶として支え続けた。 信忠は側室である生駒吉乃の子であり濃姫の実子ではないが、吉乃は産後の肥立ちが悪く若死にしてしまい我が子のように育てられる。 また信長には九人もの側室がいたのだが、多側室にありがちな陰湿で陰々滅々たる話がまったく残されていないところを見ると濃姫がうまく仕切っていた事を物語っており器量の高いとも窺える者でもあった。 「その前に、どこから来たのですか義母上」 二人は岐阜城で留守番の折に親睦を深めていたようで仲のよさげな光景には結構だが、信忠の視線は濃姫が出てきた押入れが気になって首を伸ばし中を覗こうとする。 「あらあら、奇妙丸が戸の前で楽しそうな事をやってたから、隠し通路から様子を見ていたのよ」 「……本当に何をやっているのですか」 どこかでが本気なのかが解らない言動に困惑するが、濃姫は一通り松姫を堪能して改めて口を開く。 「でも奇妙丸が落ち着けない気持ちは理解しているつもりよ。この子が武田信玄殿の娘だというのが理由でしょう?」 この言葉は信忠が最も気掛かりだった事でもあり思わずたじろいてしまう。 松姫は敵国である武田家の身内であり、それを信長や濃姫を初めとする周囲の人間がどう考えるかが無視できない事であった。
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