甲斐の虎と越後の龍

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夏の熱の籠る暑さが、日ノ本を焼き付けるが如く照らし尽くす。 だが燃やすは夏の熱のみ非ず、織田・朝倉の連合軍の精鋭たちが、具足に溜まる熱気など気にも止めずに汗を流しながら走り駆ける。 そして兵は夏の暑さを忘れるほどに意識を集中させて声を挙げた。 「進めや進めぇぇッ、越前を取り戻せッ!!加賀を救えッ!!」 「おおおおぉぉぉぉぉぉッッ!!!!」 朝倉義景の死を持って和睦は成された。成立後に織田家は越前救援軍の派遣を決定し、柴田勝家を総大将とした織田軍10,000名が行動を開始する。 当然朝倉軍も随行し、織田軍と共に越前・加賀に蔓延る上杉軍を駆逐して廻る。 織田家内では上杉軍を打倒したのち、朝倉軍が反旗を翻して派遣軍が孤立する恐れはないかと話もでたが、義景の名の元に質として景健を初めとする幾人の主要人物が留まる事により意見を通す。 また、信長は義景を残した国の行く末を記された嘆願書の内容を概ね認めて朝倉家臣の不満を押し留めた。 そして当初の予想通りに、上杉軍は早々に後退を開始され手取川付近に陣を構えて両者は睨み合いの膠着状態に落ち着く。 だが手際よく後退を成功させたのだが、本陣では不満が蔓延してしまっていた。 「速い……織田軍の動きが想定より速すぎるぞ」 「んな事に狼狽えるでない、戦に想定通りを求めるなと常々言っておろうが景資」 「そうは言いましても景家殿。三日ですぞ、織田と朝倉双方20,000の軍勢がたった三日で現れて、更に奴らは戦最中の筈なのに仲良く手を繋いでですぞ」 上杉軍は朝倉軍がこうも早く舞い戻ってくる事も、織田軍までも付いてくる事は予想していなかった。故に越前や加賀に留まる拠点を造れず、上杉家家臣の吉江景資と柿崎景家は愚痴を溢す。 「後退とてわかっていた事であろう。我らは此処を維持し、後は謙信様に身を任せればよいのだ」
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