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武田軍の前線は崩壊。上杉軍も万全の態勢とは言いがたかったが、彼らは死を恐れる様子を見せず真っ直ぐ突き進んで行く。
もはや泥沼の乱戦が至る所で勃発してしまい、不毛な消耗戦に勝頼は歯軋りを立てる。
そして脳裏にとある考えが浮かぶ。
「……一度退いて仕切り直すべきか」
「なっ、何を仰られるかッ!!戦は幕を上げたばかりであるッ!!ここで退くなど武田家の家名に傷が付きますぞッ!!」
勝頼が呟いた言葉は撤退か否かであった。
しかしこの言葉を耳にした武田家臣の多くは、戦闘開始から半刻ほどしか経っていないにも関わらず撤退など恥だと詰め寄った。
顔を赤くして諫言を申す者は多いが、昌景や信房といった主力武将はただ黙して腕を組むだけである。
「勝頼殿は信玄公の死を無駄死にさせて終わらせる気かッ!?」
「そうだッ!!大殿は命を投げ出したというのに退けるか!!」
そして武田家臣の口からは信玄が自身の命を投げ出してまで謙信を誘き寄せたからこそ退けぬと口を揃えて言う。
だが勝頼は、最初は諫言に戸惑いを見せるが、信玄の事を口に出した瞬間に表情が移り変わる。
「……貴様らに父上の何を語るかッ!!」
叫び挙げた咆哮に武田家臣は狼狽するが、続けて言葉を続ける。
「父上は敵を見誤ったッ!!そして某もまた同じッ!!ここで潰えた策などに固執しようものならば、それこそ家名に傷が付く恥だッ!!」
「しかし……それでは」
「皆の言いたいことは理解している……この一戦で父上だけでなく他の皆まで失えぬのだ。わかってくれ」
勝頼の説得に頭に血が上っていた家臣は天を仰ぎながら黙って頷く。
そして武田全軍は一時、総撤退を開始した。
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