人の尊厳

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所変わって放棄された武田軍本陣。 そこには総大将である勝頼を見送った赤備指揮官たる山県昌景、不死身を冠する馬場信房、退き弾正たる高坂昌信の三人が馬を並ばせていた。 彼らは殿軍としてその場に残っており、それぞれは迫る上杉軍を瞳にいれて武具を構える。 「……前からは顔を真っ赤にさせて突っ込んできている上杉軍。後ろにはさっさと逃げ出している御屋形。お前らはどう思う?」 そして昌景は携帯食の干飯を砕きながら槍を片手に二人へ声を掛ける。 「さっさと逃げ出せる事も大将の素質よ。儂は安い自尊心の為に死ぬなんざ御免被るわい」 「戦は勢いで決まるものではない。勝頼の若が、それを理解しているのなら上々である」 今回の策で信玄を始めとする数多の武田兵が命を落とした。 ならば彼らの仇を討つために、自身も命を投げ捨てて戦い続けなければならないか、それは断じて否である。 つまらない意地で犠牲を増やすなど愚直の象徴。皆の死を無駄にしないからこそ、敗北を学び苦汁を飲み屈辱を心に刻む。 死んで楽になるなど許されない。それが生き残った者の務めであり、それが武田家臣が信玄から学んだ事であるから。 「御報告ッ!!最前列が敵方と接触ッ!!」 物見梯子に昇る兵から報告が舞い込む。そして報告と同時に三人は馬の腹を蹴りゆったりと前に歩み出す。 「来たか、高坂軍は追撃を止めるぞッ!!」 「儂ら馬場も前へ、しっかり合わせんさい山県の」 「赤備、攻勢準備ぃッ!!これより敵を抑えるッ!!この山県源四郎昌景に続けぇいッ!!」 そして武田が誇りし三将は声を挙げ、上杉軍との戦闘が開始された。
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