人の尊厳

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飛び立つ鉄の弾。雨霰の如く避けるなど不可能なほど隙間なく撃ち出された。 しかし標的とされた謙信は馬の脚を緩めず、槍を振りかざして前だけを見ている。 「滑稽なり」 そして謙信は地べたに転がる骸に槍を突き刺し、そのまま前方に掬い投げた。放り投げられた骸は放たれた弾に撃ち抜かれながら勢いよく馬場兵に激突する。 いきなり飛んできた骸に馬場兵は声を失うが、同時に彼らの視界には大きな影が足元を覆っている事に気がつき血の気が引いた。 謙信の一騎駆け。 上杉軍総大将たる謙信は一切の迷いなく敵の群れ犇めく馬場軍を真っ二つに突き破る勢いで斬り込んだ。 「こりゃ、いかん。理性のない馬鹿ほど手が焼けるもんはないわい」 これを見た信房は即座に一旦下がって隊列を整えようとするも、謙信の獅子奮迅を体と成した暴れっぷりに食らい付かれる。 この場で仕留める他ないかと再構成を諦めた信房は兜の緒を絞め直して改めて気を引き絞めた。 だがその瞬間、彼の瞳にとあるものが映り動きが止まる。そして槍を振り上げて大きく息を吸い上げた。 「全軍、撤収ぅぅぅッ!!」 信房は撤退命令を轟かせた。これはその場にいた全員が驚いて瞠目するが、武田兵はすぐに我に返り各々指揮官の元へ戻って行く。 彼らの眼に映るのは高坂軍から立ち昇る二本目の狼煙であり、これは昌信が判断した撤退指示で武田兵は敵陣を突破して脱出を開始する。そして昌景も狼煙を確認して露骨に嫌そうな顔をした。 「高坂がいうならここが潮時か……悪い小島殿、先に抜けさせてもらうわ」 目の前には謙信が居りはするが相手は猛将故に時間が掛かるのは眼に見えており、また撤退戦を熟知した昌信が判断した退き時なのだから、それが最善なのだと自分を納得させて軍勢を集結させる。
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