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真っ黒だ。見渡す限り黒一色の空間に男は居た。
眼を凝らしても辺りは視認できないが、かといって何も見えない暗さでもない。
方向感覚も掴めない。浮いている気もするし足をしっかりと付いている気もするし、更にいえば暑くもないし寒くもない。
何もかもが不明瞭にして曖昧、人生の中で感じた事のないそれに身を任せながら男は居た。
「……君はこんな処で何をしているのだ?」
黒い視界が僅かに薄れるようにして男が現れた。
「解からん。そんな君は何をしているのだ?」
「解からん。奇遇だな」
そして向かい合う二人は問い、そして応える。
「まぁ、取りあえず……出口を見なかったか?」
「某は出口を知らない。入口から入ったが、それももう無いようだ」
「そうか、無くなってしまったのなら致し方ない」
男の応えは不明確にも関わらず、不思議とそれを聞いて何も疑問は浮かばずに頷いた。
だが同時に小さく唸り声を挙げながら困り顔を露にする。
「だがそれは弱ったな。政務が残っているのに」
「政務?何も君がやらなくてもよいのでは?」
男が困り顔と共に呟いた言葉に反応して問う。
「そんな訳にもいかない。当家は朝廷の礼式を知らぬ者ばかりでな、某がやらねば」
問いに対して男は愛想笑いを交えて返すが、問うた男は首を横に振る。
「そういう意味ではない、君の人生は君が主役だ。脇役を起てて自らが隅で務める事など必要あるか?」
「なるほど、それもまた一つの選択肢か」
男は妙なほど、その話に納得して唸る。そして改めて相手を見据えて愛想笑いを創る。
「ところで名は?」
「忠臣、明智十兵衛光秀と申す」
「逆臣、明智十兵衛光秀と申す」
互いは再び愛想笑いを創る。嘘偽りの笑いを。
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