汝は我

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「それに座学を民にも公開してますので、毎日顔も合わせる内に皆の名も自然に覚えましてね」 「座学って……もしや、秀吉殿が直接に教えを説いているのでしか?」 「えぇ、ですが基本的に専門の者を雇い入れてまして、家臣は当然ですが民にも自主的に参加されています」 この秀吉の話に光秀は眼を見開いて息を飲む。 「民の方は日に何人程度で、幼子は?」 「そうですね、田植えの時期などによってまちまちですが100名程度ですね。内の7割は元服前の歳です」 あり得ない。戦国時代に於いて、そんな実務教育が正しく機能しているなど信じられないと光秀は耳を疑う。 教育機関は戦乱が終え、文書主義へと傾いた江戸時代で100年にも及ぶ長い時間を経て寺子屋という形で広がり、1872年にやっと学制が敷かれる。 つまり当時、正式なそれは存在せず近いものが有ろうがまともに機能していない。 基本的に民にとって知識などより畑の手入れの方が重要である筈だが、秀吉の民は想定以上に向上意欲が高く、それほどに他と差が出るものかと。 明確にして確実な教育機関、それこそが光秀の必要としたものではないか。 民が責たるものを知らずただ今を生きる事しかしようとしない人種であるのなら、正しき事柄を教えれば良い。民が知識たるものを知らずに他者に利用やれるのであれば、必要な知識を与えれば良い。 教育を義務付け民に今を生きる知識のみならず明日を生きる為の知識を与えるべきなのだ。 だが、統治者にとってみれば民は愚鈍である方が都合が良い。今の武士が上に立つ体制では成り立つ事はできない。
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