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松姫と別れ退室した信忠の眼に映ったのは、必死に両手で口を塞いで笑いを堪えている側近の鎌田新介であった。
彼は前屈みに背を折り曲げて隠しきれない笑い声が途切れ途切れに響いている。
「ふぇへへへ、膝枕を……ふへへ、信忠様が顔を真っ赤にして膝枕……」
「おい、新介。覗きおったな」
「ふぇへへ……へっ?」
後ろから聞こえる信忠の声に新介の笑い声が止まり動きが硬直する。そして曲げた背をすかさず伸ばして満面の笑みで振り返った。
「ワタシナニモミテマセン」
「驚くほどに嘘が下手だな」
上擦りかえる言葉に信忠は呆れて頭を掻くが小さく笑って返す。
何だかんだで新介とはこの時代に来て尤も共に歩んできた者であり、今更隠すこともなかろうてと思いながら。
思えば、姉川の戦いに引き連れ、宇佐山防衛にも連れ、岩村城包囲中の武田軍奇襲、躑躅ヶ崎館襲撃、信玄対面、松尾山強襲にその他諸々。数多の戦線に於いて常に背を守られていた。
「……新介よ」
「ひゃい!!申し訳ありませぬ、少し覗いてました!!」
「天下泰平まであと一歩の処まできたな」
新介は叱責されると身を引き締めていたが、思わぬ言葉に再び硬直するもすぐに口を開く。
「えぇ、羽柴様の毛利攻めも順調であり四国も時間の問題です。東の上杉はかつての日を没し残る大敵は武田と北条のみとなりました」
やっと此処まで来たのだ。あと一歩、あと一歩を踏み込めば誰もが夢を見つつも誰一人として叶えられなかった泰平の世が姿を見せている。
眩いばかりのそれを得るべく、皆で高らかな足音を鳴らして掴みとるのだ。
「それにしても信忠様。膝枕をされている時の顔は総大将に命じられた際よりも、大層幸せそうで御座いましたな」
「うっさいわ」
そして信忠は思い出し笑いする新介を蹴りあげた。
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