真の信は

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雫が落ちる。 これは雨や飲み水の類いではなく額から流れ落ちる冷や汗であった。 それを落としたのは一人、二人だけでなく幾千や幾万もの人々が同じく汗を流し、下唇を力強く噛み締めて手足を震わせる。 「者共ぉッ!!構ぁぁぇええい!!」 遠くから号令の声が響き、これに呼応して多くの指揮官が山彦の如く叫んで命を発する。 そして冷や汗流す者たちは、火縄銃を持ち上げて千丁余りのそれが一斉に並び連なった。 これを丘の頂上に織田木瓜の旗と共に建つ陣から、男が見据えるように細い眼で凝視する。 「信忠様ッ!!第一陣布陣整いました、御下知をッ!!」 男は織田家当主たる織田信忠その人。彼は報告に対して一度だけ頷き、手に持つ采配を音を鳴らして叩く。 「照準は合わせど指示あるまでの発砲は禁ずる。これを背いた者は伍隊全員に責を科する事を厳命させよ」 「狙ぁぁぇええい!!次なる号令あるまで待機せよぉッ!!」 織田兵は火縄銃を構える。そしてこの銃口の凡そ数km先には、地を覆い尽くすかのように四つ割菱の旗を靡かせて幾万の兵が荘厳圧巻の様を魅せていた。 四つ割菱は武田家の家紋、それを仰ぎし者たちは脚を力強く踏み締めて駆け、馬の息を荒げさせ奔り、横に居並ぶ戦友と共に死地を目指してその身を投じる。 武、知、技、戦術、思想、家、民、銭、恩義、心に思う事柄など人によりけりにして十人十色。然れども今この時、武田兵三万の意志は一つ。 織田を殺す、徳川を殺す、敵を殺す。 設楽ヶ原に忌々しく立ち並ぶ織田木瓜の旗を焼き払い、軒を連ねる弱兵共を喰らい尽くして勝利を掴むという意志に武田兵は背を押される。 そしてこれは信忠に於いて二度目の長篠の戦いの幕開けであった。
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