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「勝頼様ッ!!穴山軍が……穴山軍が撤退されましたッ!!」
穴山軍の撤退は前進する武田軍の見にもしっかりと映った。映ってしまった。
将兵から見たら、敵総大将を討つ好機だと考えられる。だが下の兵にとって織田全軍の前進に山県昌景の死というのは少なからずの不安を重ねさせてしまう。
その為に勝頼の前進はこれを払拭させて兵たちを鼓舞させる意味合いもあったのだが、中央の抑えにして一門衆の戦線離脱という行動が全てを壊した。
中央が抑えきれなくなれば、南陣の連合軍はまた戻り籠ってさえいれば武田軍を包囲できる。そうなれば信忠の首など言っている暇はなくなってしまう。
「ふっ……これでは他の者が如何に士気が高かろうと台無しだな」
最早、どうしようもない。この事態を盛り返すは不可能だと理解した勝頼は弱々しく笑う。
信忠は前に進み腰の重かった家臣を動かして魅せた。だがそれに打って変わって自身が前に進んでも一門衆から我先にと逃げ出した。兵の質や戦術の差の前に総大将としての格の違いを突き付けられた気分である。
「……勝頼様、御下知を」
だが勝頼には黄昏ている時間など一刻たりとも残されていない。再び決断を迫られた彼は刀を振り上げる力すら振り絞れず肩を落として口を開く。
「…………全軍撤退だ。引揚貝を鳴らせ」
「……承知致しました」
勝頼の下した命は全軍撤退というものであった。そして武田兵は静かに頷き、手を震わせながら揚貝を鳴らす。
戦場に音が響き渡る。敗北を知らせる音が陰に響き、これを聞いた武田兵の誰もが唖然と立ち尽くしこれが空耳でないのかと疑ってしまう。
そして勝頼は馬の首を翻し、目の前の敵軍や抱いた夢から眼を背けるように撤退を開始した。
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