終わりと始まり

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三大国からの同時攻撃を受けた島津家であったが、後に絶対首獲る戦闘民族とまで比喩される彼らに取り乱す様子はなかった。 寧ろ織田軍が到着前に開戦した事に勝機を見出だして逆に士気が跳ね上がっていたのである。 島津軍が目に付けたのは、この三国はつい前まで敵同士だった故に連携など取れる筈もなく個として戦っている点であった。 まず四国側から上陸した毛利勢を狙い、島津軍は士気が低く統率がないように演技して後退。敵を奥地まで誘い込んでから伏兵で叩きのめす釣り野伏せを実行して撃退させる。 さらに島津軍別動隊は龍造寺領の島原に攻め込んで龍造寺軍を沖田畷の湿地帯に誘き寄せる。 そして地の利など兵力で補えると考えた龍造寺隆信は強行を命令。しかし道が細く沼地に進軍に遅れがでてしまい数の優位は生かせず、後方に潜ましていた伏兵に挟撃されてしまう。 しかもあろうことか、この挟撃により龍造寺家当主の隆信は討死してしまい再起不能まで潰された。 最後に大友家は国家間の連絡が滞ってしまっている為に二国が敗北した事を知らずに進軍してしまう。 そして島津本軍と大友軍が衝突。始めは互いに川を挟んで膠着状態になっていたが、龍造寺軍を撃滅させた島津別動隊は裏をとり挟撃に成功し勝利を得た。 こうして何と島津家は、織田軍が到着する前に毛利家、大友家、龍造寺家という西日本を轟かせた三大国相手に圧勝して魅せたのである。 羽柴秀吉が織田軍の総大将として九州に到着した時にその話を聞いて我が耳を疑い頭が痛くなってしまう。 そして秀吉は同じ轍は踏むまいと徹底した前準備を取り仕切り、何とか軍勢を再構築させて島津軍との交戦を開始させた。
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