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ミステリーには付き物の《ジレンマ》がある。
それは、トリックを重視すればする程、人間ドラマがおざなりになり、逆もまた有り得るということだ。
具体例で言えば、1969年度・第15回の乱歩賞受賞作品であった森村誠一氏の「構想の死角」などは、機械的密室トリックは見事であった反面、主人公の刑事と疑惑の社長秘書との関係(交際するに至った経緯)について一切作中で触れられていなかったし、登場人物が機械的に過ぎた。
「陽気な容疑者たち」は、この点を難なくクリアしている。
現実の犯罪者は、わざわざ密室殺人事件や複雑なアリバイトリックなど用いる訳がない。
だが、「陽気な容疑者たち」は《そうしなければならない》いや、言い方を変えるならば《そうならざるを得ない》確固たる理由が存在するのだ。
トリックそのもの(創元推理文庫版には、その重大な手掛かりが《表紙に》描かれている!)に明確な理由付けがあり、根底に深いヒューマニズムが横たわっている。
ラストに「ある人物」と「ある人物」が見せる優しさなどは、決して押し付けがましい所などなく、素直に感慨をもたらしてくれるのだ。
作者が間違いなく善人だと分かる作品だと言える。
実際に、天藤真作品はいずれもユーモアで包み込んだ「優しさ」が溢れんばかりに存在している。
彼の没後、原作が映画化され大ヒットした「大誘拐~Rainbow Kids~」では、被害者の後期高齢者が逆転、主犯となって誘拐犯グループを翻弄するコミカルなサスペンスであったが、バブル崩壊の兆しが見えつつあった当時の社会背景が、天藤作品を欲していたのかも知れない。
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