真夜中の校舎で歌う

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実のところ、俺はリバースワールドで全力疾走するのが好きではない。ただでさえ奇妙な浮遊感がある中、足の裏が地面を蹴る明確な感覚のない状態で前へと進むのは決して気持ちのいいものではないからだ。 ちらりとスマートフォンの画面に目をやり、今回二度目の『ファントムスタビライザー』を起動させる。この先に一体何が待ち構えているかわからないというのに、酔って気持ちが悪いなどと言っている場合ではない。 最優先に考えるべきは檸檬の身の安全だ。彼女に意識さえあれば、自ら『イグジストオアノット』のアプリケーションを起動させて現実世界にリターンすることができる。 その際にまたイレギュラーを“連れて帰って”しまうことになるかもしれないが、今は緊急事態だ。それもやむを得まい。 もちろん、ディフェンダーを欠いてしまえばその時点でミッションは失敗、強制終了となる。今までこのミッションの為に賭けてきた俺の努力も水泡に帰す。 だが、時間こそかかるかもしれないがチャンスはまたいつか巡ってくるだろう。背に腹は代えられない。小憎たらしいチビっ子だが、檸檬の命と引き換えにしていいものなどありはしないのだ。 気持ちの悪さに耐えながら道なりに走っていると、やがて開けた場所へと出た。定期的に手入れされているであろう整った植木たちに囲まれるように、その大きな建物は俺の視界に突然その姿を現す。外壁はやや傷んでいるようにも見えるが、なかなかに立派な体育館だ。 三毛猫の姿もなければ檸檬の姿もない。ただその体育館の入口の扉だけが、俺たちを誘うが如く不自然に開け放されていた。 俺は息を吐き出しながら足を止め、遅れることなく後ろに続いていた世舟の気配に声をかける。 「世舟、状況の報告を頼む」 「はい。これはおそらく…、体育館っすね」 「そんなもん見りゃわかるよ。イレギュラーはどうなんだ。近くにいるのか?」 「あ、そっちの報告っすか」 相変わらずのマイペースっぷりに思わず脱力してしまう俺。まったく、何の為に『ヘイムダル』を起動させたと思ってるんだか。 だがそれに続く世舟の言葉に俺は気持ちの悪さも忘れ、全身に緊張が走るのを感じた。 スマートフォンをタップしながら、世舟は真顔で俺にこう告げたのだった。 「冥さん、異常っすよ。この体育館の周辺だけイレギュラー反応なし。唯一感知できるのは…、その体育館の中に一体だけっす」
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