耳鳴り

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「引き返しますか?」  ポケットに両手を突っ込んだまま立っている彼は大丈夫なのでしょうか、怖がりな筈なのに。 「いえ、行きます……」  正直に申し上げるなら、此処で引き返していれば後悔する事は無かったかも知れません。 「じゃあ、ほら」  彼が差し出した手を取り、私は助けられながら立ち上がり。そこから先の道を見据えました。  明らかに、暗い。道の脇の街灯はまだ続いているのに、暗い。  それは今しがた経験してしまった事からそう感じるのか、それとも――  浮かび上がる恐怖心を抑えて、私は足を踏み出します。それだけでざわりと心臓が跳ねた気がしましたが、その時の私は妙な使命感に駆られていたのだと。  この体験を持ち帰れば、皆を怖がらせる作品が書けるに違いない。と。 「無理だと思ったら言って下さいね。此処から先は、酷いです」  何が酷いのか、その言葉だけでも私は背筋が凍る様な思いでしたが。頷いて応えながら、次に何か起きたら引き返そうとも決めていました。 「ほら、そこ」  無惨に、削られた木。わざわざ何か刃物でも持ち込んだのでしょうか、幾つもの恐怖心をわざと煽る様な言葉が刻まれて。  私は不思議と、恐怖よりか哀れみと呆れを感じていました。 「そっちにもですよ」  彼に言われるままに視線を動かせば。元は何かの看板だっただろう板は、スプレーか何かで書き殴られた幾つもの文字に埋め尽くされて。 「……最低ですね」  思わず口元を抑えながら呟いた言葉が耳に届いたのか、彼はフッと小さく笑みを溢して。 「あちらからすれば、人間であれば同類ですよ」  そう語った彼の顔を見ると。とても辛そうに表情を歪ませながら俯いて。 「そろそろ引き返しますか?」  これは、彼からも発せられる警告だったのでしょう。繰り返し引き返すかと問うのは、私をそうさせたかったのだろうと。  ですが私は、何かに憑かれたように。 「いえ、まだ行きます」  その時にはもう、無視するには辛い程の耳鳴りがあったのですが。それに蓋をしてまで、奥に行きたかったのです。  心無い悪戯を見て、霊への同情が芽生えていたのかも知れません。  ですが、そこで再び。 キィィィィィン――
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