立夏の候

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立夏の候、皆様はいかがお過ごしでしょうか。 僕がシュンタソです。 僕は携帯電話専用ゲームSNSである、ノバゲーで暮らすユーザーの1人だ。 暮らす…と表現すると、首を傾げる方も多いだろう。 だが、その傾げた首を一度元に戻して欲しい。 実はその表現は的を射ている。 と言うのも、僕は朝起きたらトイレに行くよりも、朝ご飯を食べるよりも先に、ノバゲーにログインしている。 家族への朝の挨拶よりも先に、ノバゲー内で共に青春を謳歌しているフレンド達に挨拶をするのだ。 仕事の休憩時間は身体を休める時間ではない。 フレンドとコミュニケーションを取る時間なのだ。 晩ご飯を食べながらフレンドと会話をし、寝る前にはもちろんお休みの挨拶だ。 そう、そこには人間の生活が描かれている。 その行動を理解するのは難しいだろう。 だがまだだ、その首を再び傾げるのはまだ早い。 ノバゲーにはその行動を起こさせる魅力があるのだ。 自分に何かしらのコンプレックスを持っている人間でも、ノバゲー内では自分の分身となるアバターを理想の自分に変えることができる。 コンプレックスが故に異性とコミュニケーションを十分に取れない人間でも、美形になった偽りの自分を駆使することで、簡単に擬似恋愛を楽しむ事が出来るのだ。 更には、ノバゲー内に無数に散らばったゲームにおいて頂上を目指す事により、他者から崇められる英雄となる事も難しくはない。 現実では体感する事が困難なその経験は、ノバゲーでの居心地の良さに拍車をかける。 やがて、インターネットと言う仮想現実と、今生きている現実の区別がつかなくなっていくだろう。 この現象を人は依存と呼ぶ。 ノバゲーに依存している人間は、仮想現実の中で生活をしているのだ。 だが、依存と呼ぶのはナンセンスだ。 今は【暮らす】と表現するのがナウなのだ。 ナウなヤングにバカウケなのだ。
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