第1章

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「ええ、お蔭様で、助かりました。食事は?」 「まだだよ」  そう言っているうちに、国会図書館の金田さんが弁当を持ってきてくれた。  いつもの弁当に紙コップにお湯。この弁当にも流石になれてきたようだ。 「隣の若い方の人、裁判日が決まったそうですよ」 「ホウ…」 「二月にここに入って、四月二十一日頃みたいですよ。長いですよね」 「ひき逃げだったっけ?」 「そのうえ飲酒でしょ。どうなるんですかねー」 「人事じゃないよな」 「ほんとですよね」 「六号。洗面!」  二人は読んでいた本、ノート、便箋、筆記用具等を持ってロッカーに返す。  二号の二人と流しで一緒になった。  一人はどの犯罪にも顔を出してくるような、年寄りの癖に小指を詰めている男で、もう一人は顔の面積が異様に広い、ばかみたいな奴だ。 「取り調べ進んでいるんですか?」 と、その顔広(がんびろ)が聞いてきた。 「さぁ、どうでしょう。戦っていますから」と、言うと「シッ! ここではあまりそういうことを言ったらヤバイよ。こいつらも皆警官だから筒抜けだよ。これこれ」と、口にチャックをした。  こいつらと話をしても何の意味もないと思い顔をザブザブと洗った。 「顔広」はやはり窃盗で何度も警察に厄介になっている。裁判待ちで、裁判は五月上旬になるという。 「俺ら頭悪いから、生きるためには仕方ないんだよ」と、訳の分からないことを言っていたのを聞いたことがある。これが映画で、田中邦衛みたいなのが、場末の安酒場でコップ酒をやりながらクシャクシャの千円札を握り締め(あるいは五百円玉)真剣に飲みながらいうしんみり言う台詞なら、何となくジンときそうだが、あんなにこやかに歯をむき出して言ってもなぁ……。  この留置場は一号室から七号室と長屋のように並んでいて、廊下を挟んで八号室から十号室が廊下の向こう側にある。十号室がとりあえずの女子房のようだ。  五号の二十一才の風俗関係の青年とまた「運動」の時間が一緒になった。同室の「教祖」みたいな親父はタバコをやらないし出て来もしない。下村もタバコを吸わないが、運動のため出てくる。 「明日出られるんですよ」  青年はにこやかに言う。 「いいですねぇ」下村が応える。 「ちゃんと社会復帰したほうがいいぞ」  一応人生の先輩らしく俺も言った。二十一才といえば下の娘と同じ年齢である。
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