第1章

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 健一も、労働基準監督署の調査を受け入れざるを得ないと感じていた。  調査は、電話のあった日の翌日に行われることになった。社内の会議室に、健一と浩二、労働基準監督署の安藤が顔を揃える。  名刺交換による挨拶の後、調査が開始された。  「それではさっそくですが、賃金台帳と直近半年分のタイムカードを拝見できますか?」安藤が、健一と浩二の顔を交互に見ながら要求事項を告げた。  「うちはタイムカードじゃないんですが……」浩二が、社員が出勤簿に出社と退社の時刻を記入して押印する形式であることを説明する。  出勤簿と賃金台帳の提出を受けた安藤が、双方の資料を交互に見比べながら、鞄の中から取り出した電卓をたたき始めた。静寂な空間に、電卓をたたく音だけが響き渡る。  しばしの後、安藤が顔を上げた。明らかな証拠をつかんだとも言いたげな自信満々な表情を浮かべている。  「御社の始業時刻は、午前九時でよろしかったですよね?」  「はい」健一が頷いた。  「となると、終業時刻は午後六時ですか?」  「一応、そのつもりではいるのですが」  「週休二日制ですよね?」  「ええ」  「それでは、終業時刻は午後六時で間違いないですね。週の法定労働時間が四十時間なのですから」安藤が、終業時刻が午後六時であると決めつけた。週の法定労働時間との関係で、終業時刻が午後六時よりも遅い時刻だと問題だという言葉も口にする。  健一の中にも、感覚的に社員の勤務時間が午前九時から午後六時であるという認識はあったのだが、それはあくまでも原則論であり、実際の勤務時間はその日の仕事量によって決まるものだという考えを持っていた。事務的な細かい管理は浩二に任せていたが、自分自身が今までそのような働き方をしてきたということもあり、社員の所定の勤務時間ということを意識したことはなかった。  「となると、やはりサービス残業が発生していますね」安藤が、勝ち誇ったような表情で、二人の目の前に出勤簿と賃金台帳を並べて残業代が支払われていない事例を一つ一つ指し示した。安藤の説明によると、退社時刻が午後六時を越えている部分に対して、その都度超えた時間に応じた残業代を支払わなければならないということであった。
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